Photo by Rodrigo Canisella Fávero
アイルトン・セナは1985年から1987年の3年間に渡ってロータスに在籍していました。
ルノーエンジンを積んだロータス97Tと98Tは予選での一発の速さがありました。
セナはロータス時代の前半2年で14回ものポールポジションを奪取しています。
しかし、レースではマクラーレン・TAGポルシェ、ウイリアムズ・ホンダらに遅れをとっていました。
1987年、セナは当時最強といわれたホンダエンジンを手にすることになります。
ところが、ホンダエンジンを積んだロータス99Tは予選で振るわず、たった1度のポールを獲得するに留まっています。
セナのライバルをあげるとするとマクラーレン時代チームメイトのプロスト、ウイリアムズ・ルノーのマンセルが記憶に新しいですが、ロータス時代のセナとこの2人はどうだったのでしょうか?
やはり、好敵手として素晴らしいレースを繰り広げています。
このページでは、ロータス時代のセナとプロスト、マンセルとのバトルを2戦ずつピックアップしておきます。
アイルトン・セナ vs アラン・プロスト
1985年5月5日 サンマリノGP(イモラ):60周
セナとプロストが初めて抜きつ抜かれつのバトルを展開したのは、1985年5月5日サンマリノGPのことです。
セナはロータス97T、プロストはマクラーレンMP4/2Bを駆っていました。
2戦連続のポールからスタートしたセナはレースをリードします。
しかし、プロストが追い上げを見せ、ヴィルヌーヴカーブ(⑥)でセナの前にでます。
セナはすかさずプッシュし、トサコーナー(⑦)ではプロストを抜き返しています。
その後、周回遅れの処理で勝敗が決します。
セナは見事にルノーのタンベイをパスしていきます。
プロストはタンベイの処理に手間取り、セナとプロストの差は広がることになりました。
はじめてのバトルはセナの勝ちでした。
レースの結果としては終盤の燃料切れでセナはストップ、最初にゴールしたのはプロストです。
しかし、プロストは最低重量の規定違反のため失格となっています。
1985年7月21日 イギリスGP(シルバーストーン):65周
サンマリノGPと同様の闘いがイギリスGPでも繰り広げられます。
4番手セカンドロウからスタートしたセナは見事な蹴り出しで、トップに躍り出ます。
レース序盤、プロストは燃費を考えた走行に徹しますが、計ったようなタイミングで追い上げを見せます。
58周目、セナとの8秒の差を詰め、ブースト圧を上げたプロストのマクラーレンがセナをパス。しかし、周回遅れに追いついたプロストがスピードを落とす中、セナはストウコーナー(⑮)でトップを奪い返します。
ストレートでまたもプロストにおいていかれたセナのマシンはエンジンがミスファイヤを起こし、あと5周というところで燃料切れとなってしまいました。
プロストはそのままトップでゴールしています。
アイルトン・セナ vs ナイジェル・マンセル
1985年10月6日 ヨーロッパGP(ブランズハッチ):75周
このレースはナイジェル・マンセルにとってメモリアルレースとなります。
スターティング・グリッドはシーズン6度目のポールからセナ、2番手ブラバムのピケ、3番手がウイリアムズのマンセルです。
スタートを決めたのはマンセルの僚友ロズベルグ。
セナ、マンセル、ロズベルグのオーダーになります。
序盤セナとマンセルは接触、難を逃れたセナはトップを快走。
マンセルはさらにミスによるコースオフで4位まで後退します。
トップ争いはセナ、ウイリアムズのロズベルグ、ブラバムのピケ。
ロズベルグはセナに何度も追い越しをしかけますが、セナのブロックで抜けません。
ついに7周目アタックしたロズベルグはスピン。ピケもそれを逃れるためにコースオフ。
ロズベルグはパンクによるタイヤ交換を行い、セナとマンセルのトップ争いの直前に1周遅れでピットアウトします。
ロズベルグはマンセルを助けるためにセナをブロック。
マンセルが空いたセナのインに飛び込みトップを奪います。
そのまま、ホンダパワーでセナを引き離し優勝をもぎ取ってしまいました。
ブロック合戦によりセナとロズベルグに遺恨が残りましたが、マンセルはF1参戦72戦目にして初優勝を飾ったのでした。
ちなみにこの1戦でアラン・プロストは4位に入り、初のワールド・チャンピオンを決めています。
1986年4月13日 スペインGP(ヘレス):72周
このレースはマンセルの走りのすさまじさが目立ったレースです。
そればかりでなく、セナ、マンセル、プロストの三つ巴のバトルが展開され、激しいレースとなっています。
予選トップ3のロータスのセナ、ウイリアムズのピケ、同じくウイリアムズのマンセルの順でグリッドに並びます。
スタートを決めたセナはレースをリード。その後にウイリアムズ2台(ピケ、マンセル)、マクラーレン2台(ロズベルグ、プロスト)が続きます。
11周目マクラーレンの2台がマンセルをパスし、そのままレースは進行していきます。
オーダーは1位:セナ、2位:ピケ、3位:ロズベルグ、4位:プロスト、5位:マンセルの順。
レースが激しさを増すのは19周目のマンセルの動きからでした。
マンセルは19周目、周回遅れを利用しプロストをパス。
30周目、ロズベルグを交わし3位に浮上します。
さらにトラブルのピケをパスし、ついにセナを追い詰めます。
40周目のストレートエンドでセナを交わし、マンセルはついにトップに躍り出ます。
ピケはエンジンブロー、ロズベルグがタイヤ交換でピットインする中、マンセル、セナ、プロストの闘いに突入します。
激しい三つ巴の闘いでタイヤに無理をさせたマンセルはスロー・パンクチャーを起こし、残り10周というところでピットへ。
フレッシュタイヤでプッシュするマンセルはファステスト・ラップを刻み追い上げを見せます。
残り4周、19秒先行していたプロストを交わし、さらにリヤタイヤが限界となったセナを追い詰めます。
ラストラップついにマンセルはセナに追いつき、併走してゴールへ。
わずか0秒014の差でアイルトン・セナが優勝を飾りました。
後記
ロータス時代のセナとマンセルのバトルは、ここで取り上げたレース以外に激しいアクシデントもあり、どちらかが、あるいは両方がリタイアに追い込まれることもありました。
プロストとの闘いより、マンセルとのバトルの方が興奮しました。
1988年、セナがマクラーレンに移ってからはプロストとのバトル・確執が激しさを増していきます。
両者の戦いはF1ファンの記憶に強く刻みつけられることになるのでした。
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