Photo by Dima Moroz
1992年、ホンダがF1から撤退し、1993年からマクラーレンのマシンはV8のフォード・コスワース・HBエンジンを積むことになります。
ライバルは最強のV10エンジン「ルノーRS5」を積んだハイテクマシン、「ウイリアムズ・ルノーFW15C」を擁するアランプロスト。
戦前の予想ではマクラーレン・セナの勝ち目はないチャンピオンシップと言われ、セナは1993年前半、1レース毎の契約でマクラーレンを走らせています。
1991年までは最強のホンダエンジンを使用したマシンで、チャンピオンを獲得してきたセナですが、非力なマシンではどうしようもないと思われていました。
しかし、この年セナは5勝を上げ、F1ファンを熱狂させたのです。
私には、この年のセナの記憶が強烈で、マクラーレン・ホンダ時代より輝きを増して見えたのでした。
1993年の状況については「アイルトン・セナのライバルたち③「ミハエル・シューマッハ」」のページでも触れていますが、この年のセナが特別な存在感を放っているだけに、独立ページとして詳しく見ていきます。
- ハイテクマシンマクラーレン MP4/8
- アイルトン・セナの5勝
- チャンピオンシップの結果が示すセナの実力
- 付録:その他のレース結果
- 第1戦 南アフリカGP(キャラミ)72周:3月14日
- 第4戦 サンマリノGP(イモラ)61周:4月25日
- 第5戦 スペインGP(カタルニア)65周:5月9日
- 第7戦 カナダGP(モントリオール)69周:6月13日
- 第8戦 フランスGP(マニクール)72周:7月4日
- 第9戦 イギリスGP(シルバーストーン)59周:7月11日
- 第10戦 ドイツGP(ホッケンハイム)45周:7月25日
- 第11戦 ハンガリーGP(ハンガロリンク)77周:8月15日
- 第12戦 ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)44周:8月29日
- 第13戦 イタリアGP(モンツァ)53周:9月12日
- 第14戦 ポルトガルGP(エストリル)71周:9月26日
ハイテクマシンマクラーレン MP4/8
マクラーレンMP4/8はマクラーレンがウイリアムズに対抗して創り上げたハイテク・空力マシンです。
当時のトレンドであるハイノーズを採用ししていることが特徴。
ハイテク部分ではアクティブサスペンション、セミオートマチックトランスミッション等を搭載してます。
しかし、エンジンはV8のフォード・コスワース・HBで、ルノーRS5に対抗するには非力でした。
しかも、前半戦ではカスタマー仕様の(型落ちのシリーズⅤ)エンジンを搭載していました。
ワークスエンジンはベネトンが優先契約を結んでいたためです。
交渉の末、マクラーレンがワークス仕様のエンジンを手に入れるのは第9戦以降になってしまいます。
ウイリアムズと比較した場合、空力的にはいざ知らず、パワーは確実に劣ったマシンでした。
アイルトン・セナの5勝
パワーで劣るマシンにも関わらず、アイルトン・セナはこの年5勝を上げてポイントランキング2位で終えています。
それらのレースを見ることで、アイルトン・セナが特別なドライバーだということが分かってきます。
第2戦 ブラジルGP(インテルラゴス)71周:3月28日
予選結果は、フロントロウを2台のウイリアムズがしめ(1位プロスト、2位デーモン・ヒル)、セナとプロストは1秒8という大きな差がありました。マシン性能の違いはどうにも出来ない状況だったのです。
3番手のセナはスタートでウイリアムズのデーモン・ヒルをパスしますが、ストレートでは簡単に抜かれてしまう状況でした。プロストは、はるか前方です。
しかし、30周頃には激しい雨が降りだし、プロストがリタイア。
雨は一時的で、路面が乾き始める中、セナはスリックタイヤに交換し、先頭を行くデーモン・ヒルを追い上げます。
42周目ついにヒルをパスし、母国ブラジルでの勝利を勝ち取ったのでした。
2位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
第3戦 ヨーロッパGP(ドニントン・パーク)76周:4月11日
ドニントン・パークはスタート直後に雨が降りだします。
4番手スタートのセナは濡れるコースでアタックを見せ、オープニングラップでトップを奪ってしまいました。
しかし、天候・路面の状況はめまぐるしく変わり、全車何度もタイヤ交換を行う忙しいレースとなります。
プロストは実に7回ものタイヤ交換を行います。
セナも5回のタイヤ交換を行いますが、路面の状況を的確に把握し、優勝をもぎ取ったのでした。
2位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
3位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
第6戦 モナコGP(モンテカルロ)78周:5月23日
予選の順位が決勝に強く影響するモナコでアイルトン・セナはプロスト、シューマッハーに次ぐ3番手に終わります。
しかし、番狂わせが起こります。
決勝のスタートで、プロストはフライング。
ピットストップのペナルティーを科せられます。
プロストはそのピットストップでエンジンをストールさせ、22番手に後退、優勝争いから脱落してしまいました。
セナの前を走るシューマッハーも33周目にサスペンショントラブルでリタイアし、セナの前を行く車がなくなります。
11台がリタイアする荒れたレースで、モナコに強いセナは盤石の走りを見せ、モナコ連続5勝、通算6勝目を上げたのでした。
2位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
第15戦 日本GP(鈴鹿)53周:10月24日
前戦のポルトガルGPでコンストラクターズチャンピオン、ドライバーズチャンピオンがともに決まった日本GPはフロントロウにプロスト、セナが並びます。
スタートを決めたのはセナ。プロストを突き放していきます。
しかし、13周目のピットストップで、プロストが先行。
その後、鈴鹿に雨が降り始めます。
レインマイスター・セナは21周目プロストをパス。
40周目には雨がやみます。
セナは雨で築いたアドバンテージを活かすと、そのままプロストを突き放し優勝を飾ったのでした。
プロストはスタートのミスと雨の弱さが敗因となりました。
2位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
3位:ミカ・ハッキネン:発表彰台(マクラーレン)
第16戦 オーストラリアGP(アデレード)79周:11月7日
来季プロストは引退、セナはウイリアムズに移籍することが発表され、ついにセナ・プロ最後の戦いとなります。
アデレードはセナの得意とする市街地コース。またレイアウトがマクラーレン・MP4/8に合っていたのか、最終戦でセナはシーズン初ポールを獲得します。
レースでもプロストを圧倒するスピードを見せ、ポール・トゥ・ウイン。
最後の戦いはセナに軍配が上がるのでした。
2位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
3位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
チャンピオンシップの結果が示すセナの実力
アイルトン・セナはチャンピオンシップで、プロストに続く僅差の2位。しかし、コンストラクターズではマクラーレンとウイリアムズに大差がついてしまいました。
僚友のマイケル・アンドレッティがF1に来て全く活躍できなかったこともありますが、圧倒的なマシンのデーモン・ヒルにポイントで勝ったことが、セナの実力を証明しています。
セナ・プロ対決最後の年、セナとプロストは最終戦アデレードで握手による和解を果たすのでした。
そして、セナがF1でフルシーズンを戦った最後の年になるのでした。
ドライバーズ・ポイント
- アラン・プロスト:99
- アイルトン・セナ:73
- デーモン・ヒル:69
コンストラクターズ・ポイント
- ウイリアムズ・ルノー:168
- マクラーレン・フォード:84
- ベネトン・フォード:72
付録:その他のレース結果
第1戦 南アフリカGP(キャラミ)72周:3月14日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン)
3位:マーク・ブランデル(リジェ)
第4戦 サンマリノGP(イモラ)61周:4月25日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
3位:マーク・ブランデル(リジェ)
セナは42周でサスペンショントラブルによるリタイア
第5戦 スペインGP(カタルニア)65周:5月9日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
第7戦 カナダGP(モントリオール)69周:6月13日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
3位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
セナは62周でオルタネータートラブルによるリタイア
第8戦 フランスGP(マニクール)72周:7月4日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
セナは4位
第9戦 イギリスGP(シルバーストーン)59周:7月11日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
3位:リカルド・パトレーゼ(ベネトン)
セナは最終ラップでガス欠、5位扱い
第10戦 ドイツGP(ホッケンハイム)45周:7月25日
1位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
3位:マーク・ブランデル(リジェ)
セナは4位
第11戦 ハンガリーGP(ハンガロリンク)77周:8月15日
1位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
2位:リカルド・パトレーゼ(ベネトン)
3位:ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)
セナは17周でスロットルトラブルによるリタイア
第12戦 ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)44周:8月29日
1位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
3位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
セナは4位
第13戦 イタリアGP(モンツァ)53周:9月12日
1位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
2位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
3位:マイケル・アンドレッティ(マクラーレン)
セナは8周でマーティン・ブランドルのリアに追突、リタイア
第14戦 ポルトガルGP(エストリル)71周:9月26日
1位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)
2位:アラン・プロスト(ウイリアムズ)
3位:デーモン・ヒル(ウイリアムズ)
セナは19周でエンジントラブルによるリタイア
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コメント
1993年、セナ氏とプロスト氏が拮抗したレースになった要因を、自分なりにまとめて見ました。
①雨のレースが続いた。
第2戦ブラジルGP、第3戦ヨーロッパGPの2連戦で雨のレースになった事で、パワーでハンディを背負うセナ氏に有利に働いた。
雨のブラジルでプロスト氏のドタバタぶりが目立った。
②プロスト氏の1年ブランク後、F1復帰
1992年休止活動後、復帰しましたが、全く影響無かった訳では無かった。
シーズンテストで何万キロの走行こなしたとは言え、初めてのアクティブカーに手こずった。また、このシーズンにおいて、特にスタートのミスが目立った。
③次世代若手の台頭
セナ氏にとってのシューマッハ氏とハッキネン氏、プロスト氏にとってのデーモン・ヒル氏が、セナ氏とプロスト氏2人の前に立ちはだかった。
それによって、セナ・プロ対決の間に彼ら3人が割って入った事で、ポイントが分散、レース勝敗にも影響与えた。
セナ氏は復帰したプロスト氏を倒す事、来期ウィリアムズ・ルノー移籍する事で頭がいっぱい!、プロスト氏も4回目ワールドチャンピオン獲得で頭がいっぱい!といったところでしょうか?
プロストは雨が苦手なんです。
セナは雨が得意で知られていますね。
1993年は運もあったのでしょうね。
1993年前半に雨のレースが続いたことが、まさに雨の恵み、天気の神様がセナ氏に味方したのでしょうね。後半だったら、プロスト氏に勝ち逃げされていたかも?
それが、セナ氏のモチベーションに火が付いた?
雨の苦手なプロスト氏には若き日の苦い経験があったようですね。
さかのぼること37年前、
1982年ルノーチームに所属した頃、雨のドイツGPホッケンハイムのフリー走行中に、後方を走っていたフェラーリのディディエ・ピローニ氏に追突された事ありました。
プロスト氏には非がありませんでしたが、同じフランス人で友人だったピローニ氏は、その事故でF1ドライバーとしての選手生命が絶たれた事に、ひどいショックを受けたようですね。
さらに、その前のベルギーGPゾルダーにて、同じく友人だったジル・ビルヌーブ氏が亡くなった事もプロスト氏の人生に大きな影響を与えたようですね。
ビルヌーブ氏とピローニ氏の確執も含めて
それもプロスト氏のリスクを伴わないドライブテクニックへと切り替えた要因みたいですね。
1982年は、1984年と同じくらいにひどく混乱したF1でした。
今月販売されたGPカーストーリー「MP4/8」は、当時の裏話エピソード、関係者の証言が載っているので、面白い内容がいっぱいです。
その中でも、アクティブサスペンションとフォードコスワースHBV8エンジンの事について、かなり詳しい事が載ってました。
アクティブサスペンションについては、当時マクラーレンに所属していたパディ・ロウ氏(ウィリアムズから引き抜き)とパッド・フライ氏(ベネトンから引き抜き)の説明で、ウィリアムズFW14BやFW15Cのアクティブとは違い、TAGエレクトロニクスとビルシュタイン社が共同開発した(パッシブ機構のスプリングを残した)セミアクティブサスペンションだったようですね(でもフルアクティブに近いみたいです)
またプログラミングも双方向テレメトリーによる遠隔操作が出来たようですが、あえて使用せず複雑なシステムにはしなかったみたいです。
前年MP4/7Bでテストしたホンダ製(ショウワ製作所)のフルアクティブサスペンションの教訓を生かした?
フォードコスワースHBV8エンジンについては、
マクラーレン、フォード(コスワース)、ベネトンとの3者間で協議をやったようですね。特にフォードのワークスだったベネトンが、マクラーレンに相当圧力掛けたみたいですね。それでロン・デニス氏とフラビオ・ブリアトーレ氏が対立した。
最終的に3者合意で、マクラーレンにも最新のワークスエンジンが途中から供給されましたが、
翌年以降もワークスエンジン獲得の苦労が続くことになる。
エンジンとサスペンション以外のネタでは、
セナ氏が初めて、ハッキネン氏に予選で負けた時のエピソードも載っていました。
最初のチームメイトのマイケル・アンドレッティ氏には、危機感持っていなかったようですね(自身を脅かす存在とは見なしていなかった)
ウィリアムズのプロスト氏を倒す事ばかりに夢中で、次のチームメイトのハッキネン氏に油断したかもしれません?
おお〜、なんか面白そうな話がいっぱいですね。
おはようございます。
よく考えてみますと、この1993年のセナ氏はホンダエンジンを失ったマクラーレンで、レース続けるか?微妙なところで、一時はプロスト氏のように休止する事も考えたり、インディカー転向の噂もあったりしましたが、結局は1レース毎の契約(途中から全戦に切り替え)する事になりましたね。
もしセナ氏が参戦していなければ、ハッキネン氏とアンドレッティ氏の組み合わせになっていました。
これまで多くのタイトルと栄光を勝ち取ったセナ氏とマクラーレンが、翌年に全てを失う事になります(セナ氏は念願のウィリアムズ・ルノー入りを果たすが)
メルセデス陣営も、来期タイトル連覇するか?それとも失うか?は、ハミルトンの腕に掛かっていますね。
同じ事は、マックス&レッドブル・ホンダにも言えますが(メルセデスと違い登り調子ですが)
セナ氏関連の面白い裏話を2つ、ご紹介します。
アクティブサスペンションの技術関連の記事で見たのですが(嘘か?誠か?最初はビックリして信じられませんでした)
1987年、ロータス99T(ご存知キャメルイエロー)をドライブしていた時でしたが、
このマシンにもアクティブサスペンション(完全油圧フルアクティブ方式)搭載していましたですね。
この頃、まだ電子制御プログラムの性能が未熟で演算速度が遅いため、油圧シリンダーの動き反応も遅いでした。
そこでセナ氏は逆出に取って、コーナリング手前で意図的にブレーキを踏む(2度踏み)する事で、アクティブサスペンションの動きを早める(言い方換えるとアクティブサスペンションのプログラムを騙す動き)裏技を使ったそうです。これもセナ足と呼ぶのでしょうか?笑
当時チームメイトだった中嶋悟氏も同じ事をしたのか?不明ですが。
もう1は、
1986年、ロータス98T(こちらはJPSカラー)で年間16戦中ポールポジションを8回獲得(ポールポジション獲得率50%)しましたですね。
この時のエンジンがルノー製V6ツインターボだったのですが、このエンジンは予選時だけ(しかもセナ氏のエンジンだけ)特別な仕掛けがありました。
1986年は、まだ過給圧の制限が無かったので、なんとエキゾーストの排出口を塞いで、エンジンにどんどん過給圧を溜め込んでパワーを上げてしまう飛んでもない裏技を使っていました。
通常、そんな事してしまうとエンジンは直ぐに壊れてブローするのですが、ルノーターボは、それを見越して周回1周分だけ壊れないエンジン(走行終了後、ピットインして過給圧を解放して下げてやる)を造り上げました。
恐るべきF1の姿を見ました。他にも探すとありそうですね。
中村さん、面白いですね。
勉強になります。
ありがとうございます。
これもGPカーストーリーに載っていましたが、セナ氏が言うところのロータス99Tでアクティブサスペンションの問題点は、アクティブサスペンションそのものよりもタイヤの方が問題で、予選でのタイヤの熱が入りにくくて思った通りのタイムが出せず、前年に8回だったポールポジションが、この年たった1回(サンマリノGP)のみだったので、グッドイヤーにアクティブサスペンション専用のタイヤを作って欲しいと依頼したが断られたそうですね。
決勝ではアクティブサスペンションによるタイヤ無交換が売りだったのですがね!
3年間所属でのロータスチームではタイトル取れませんでしたが、
それでもホンダターボエンジンを手に入れたことで、同じホンダエンジンのウィリアムズには敵いませんでしたが、翌年マクラーレンに移籍して初タイトル獲得するための準備が出来たのではないでしょうか!
しかも、マクラーレン先住のプロスト氏よりも先にホンダエンジン経験とホンダスタッフを味方に付けるというアドバンテージを得て!
またまたマックスの話に戻ってしまいますが、マックスもホンダパワーユニットを得た今年、自信のある手応えを感じてるようなコメントを出していますので、来年はホンダパワーユニット更に使いこなす(マックス専用と言われるくらい)ことが出来れば、初タイトルも現実的になるかと思いますね。
そのため、シーズンオフ中もパワーユニットの開発アップデートが進行中!RB16も!