Photo by Paul Williams
まず、申し上げなければならないのは、ミハエル・シューマッハのスキー場事故後の容態のことです。
正確な情報が出てきませんが、いちファンとして回復をお祈りしています。
さて、このページではシューマッハをアイルトン・セナとの関わりで見ていきます。
私がシューマッハを見るとき残念な思いにかられるのは、世代交代がセナが亡くなるという形でなされたことです。
セナの事故死さえなければ、多くの名勝負が繰り広げられたはずです。
1991年第11戦ベルギーGP ジョーダンからミハエル・シューマッハ、デビュー
ミハエル・シューマッハがデビューを飾るのは1991年第11戦ベルギーGP(1991.8.25)のことです。
「7UP」のロゴが目立つ丸みをおびた、後のフットワークに似たマシン:ジョーダン・フォード191がデビュー戦のマシンでした。
シューマッハは予選を7番手で突破し、周囲を驚かせましたが、レースでは半周も保たず、クラッチトラブルでリタイア。苦いデビュー戦となりました。ときに若干22歳でした。
翌第12戦イタリアGP(9.8)ではベネトンに電撃移籍。
ベネトン・フォードB191を駆って決勝へ。
結果5位入賞を果たしています。
1992年第8戦フランスGPでセナとのクラッシュ
1992年、ウイリアムズ・ルノーFW14Bがグランプリを席捲した年、シューマッハは第8戦フランスGP(1992.7.5)でセナに絡んでいます。
それは褒められたものではなく、オープニングラップでブレーキが遅れたシューマッハがセナに激突したアクシデントでした。
その時点でセナはリタイアとなってしまいます。
レースはその後の雨のため2ヒートとなっていますが、シューマッハはスピンでレースを終えることになります。
レース後、セナはシューマッハを怒鳴りつけたといわれています。
開幕5連勝のマンセルがチャンピオンシップで絶対有利のなか、「若造のしでかした過ち」に、苛立ちがピークに達したのかもしれません。
1992年第12戦ベルギーGP デビューからちょうど1年後の初勝利
1992年第12戦ベルギーGP(8.30)はシューマッハが初勝利したレースです。
レースはスパ・フランコルシャンの名物「スパ・ウェザー」で、途中雨がらみのレースになりました。
シューマッハは、雨があがり31周目にスリックに履き替えたタイミングがよく、1位のままレースを逃げ切っています。
勝利したマシンはベネトン・フォードB192。表彰台でのシューマッハのアクションは、若さが溢れていました。23歳のことです。
セナの結果は5位でした。
1993年の状況
1992年末、ホンダが撤退したために「マクラーレンMP4/8」はベネトンと同じエンジン「フォード・コスワース・HBエンジン」を搭載することになります。
しかし、ワークス仕様のエンジンは開幕当初ベネトンのみに与えられていました。
交渉の末、マクラーレンがワークス仕様のエンジンを手にするのは第9戦イギリスGPまで待たなくてはなりませんでした。
シューマッハのベネトンは1993年の開幕2戦で前年の改良型マシン「ベネトン・フォードB192B」を使用し、第3戦ヨーロッパGP以降1993年型マシン「ベネトン・フォードB193B」を投入しています。
「B192B」はエンジン仕様の劣る「マクラーレンMP4/8」にも遅れをとっていましたが、「B193B」になってからは「マクラーレンMP4/8」を圧倒し始めます。マクラーレンがワークス仕様のエンジンを搭載した後も、その力関係は変わることがありませんでした。
1993年のトップマシンは「ウィリアムズ・ルノーFW15C」。ハイテクマシンとルノーV10エンジンの組み合わせは圧倒的なパフォーマンスを見せ、1位・2位はウイリアムズ・ルノーのものだといって過言ではありませんでした。
ドライバーはアラン・プロストとデーモン・ヒル。
3位に誰が入るのかが見所と言わざるをえないシーズンだったのです。
しかし、セナは不利なマシンでありながら年間5勝を上げたのでした。
セナが勝利したレース
- 第2戦ブラジルGP:インテルラゴス(3.28)
- 第3戦ヨーロッパGP:ドニントン(4.11)
- 第6戦モナコGP:モンテカルロ(5.23)
- 第15戦日本GP:鈴鹿(10.24)
- 第16戦オーストラリアGP:アデレード(11.7)
1993年セナ vs シューマッハ
1993年のF1グランプリで、セナは何度もシューマッハに抜かれる場面があります。
印象に残るレースをピックアックしておきます。
第8戦フランスGP:マニクール(1993.7.4)
終盤タイヤ交換1回のセナと2回のシューマッハの5位争い。
タイヤの差が出てシューマッハはあっさりセナをパスしてしまいました。
結果、1位:プロスト、2位:ヒル、3位:シューマッハ、4位:セナ
第9戦イギリスGP:シルバーストーン(1993.7.11)
セナはスタートでプロストをおいて2位にあがります。
しかし、パワーに勝るプロストは直線でセナをパス。
そして、3位争いはセナ vs シューマッハとなります。
10周目、必死のブロックもむなしくセナはシューマッハにパスされてしまうのでした。
セナのリアウイングは安定性を確保するために、めいっぱい立ててありました。そのためストレートでのスピードの伸びを犠牲にしていたのです。
デーモン・ヒルはエンジントラブルでリタイア。
結果、1位:プロスト、2位:シューマッハ、3位:パトレーゼ(ベネトン)となり、セナはガス欠で5位
第12戦ベルギーGP:スパ・フランコルシャン(1993.8.29)
ベルギーではベネトン勢のトラクション・コントロールが不調に陥り、スタートで出遅れます。
予選5位のセナはスタートダッシュで2位にジャンプアップ。しかし、後方にいたヒルがルノーエンジンのパワーに任せてセナをキャメルストレートでパスしていきます。
3位のセナにシューマッハが迫る。
13周目シューマッハとのバトルに賭けて早めのピットインを行ったセナでしたが、シューマッハのスパートによって順位は入れ替わってしまいました。
結局セナのマシンはギアボックスが不調となりシューマッハーを追うことは出来ませでした。
結果、1位:ヒル、2位:シューマッハー、3位プロスト、4位セナ
1993年シューマッハの1勝 第14戦ポルトガルGP(1993.9.26)
シューマッハは1993年1勝を上げています。
それが第14戦ポルトガルGP(71周)でした。
30周目、プロストがタイヤ交換に入るとシューマッハはトップに立ちます。
そこから40周以上もの間、プロストの猛攻をしのぎ、優勝を勝ち取ったのです。
プロストとのバトルを制した堂々とした勝利でした。
ここでのセナは20周目まで2位を走行していましたが、エンジントラブルでリタイアしています。
1994年シューマッハ開幕4連勝
1994年、セナは前年まで最強だったウイリアムズに移籍します。
しかし、ウイリアムズ・ルノーFW16はハイテクのアクティブ・サスペンションを禁止され、コントロールしづらいマシンになっていました。
悪夢の第3戦サンマリノGP:イモラ(5/1)までの3戦、予選では連続ポールを獲得していましたが、決勝レースでは完走することも出来ません。
逆にパッシブ・サスペンションを続けて来たベネトンにハイテク禁止の影響は全くなく、熟成度の進んだベネトン・フォードB194はその強さを発揮することになります。
シューマッハはモナコGPまで、開幕4連勝を達成します。
しかし、シューマッハはセナが退場するまで、ポールポジションを取ることはなかったのです。
セナとシューマッハ
セナとシューマッハの世代交代は「セナの事故死」というかたちでした。
プロストやマンセルのような心にのこるバトルはありません。
そのため、シューマッハがベネトンでチャンピオンとなった1994年・1995年の結果が、私には嘘のように思えました。
セナとのバトルで世代交代を見てみたかったからです。
その後、シューマッハが不調のフェラーリに移り、最強のチームへと変貌させたことは、偉業と言えます。
しかし、シューマッハが2000年以降5連続チャンピオンを成し遂げるにつれ、F1は段々面白くなくなりました。
シューマッハは強すぎるチャンピオンだったのです。
「サイボーグ」「ターミネーター」「赤い皇帝」等のふたつ名は強すぎるシューマッハを揶揄した呼び名だったのではないでしょうか?
カリスマ性を含んだ「音速の貴公子」とは響きが違うように思えてなりません。
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コメント
シューマッハ氏については、管理者Lin様と同じ考えです。
でも心情的に、シューマッハ氏もセナ氏死亡事故の被害者の1人かも知れないですね。
同じ時代にコース上で戦いたかったはずが、叶わぬ現実となってしまいました。
セナ氏亡き後のシューマッハ氏は、かなりパッシングを受けて出場禁止のレースも有りましたが、最後自身初のドライバータイトル獲得しましたね(最終戦デーモン・ヒル氏との同士討ちでのチャンピオン獲得は良くなかったでした)
この年のベネトンは、アクティブサスペンションなどのハイテク装備禁止によるレギュレーションに最も上手く対応出来たチームでした(反対にウィリアムズは、かなり痛手だった)
その混乱に乗じてか?トラクションコントロールを使ってる(特にシューマッハ氏だけのマシンに)疑惑もありましたが、FIAからのお咎めは無かったようですね。それよりも燃料給油装置の違法改造が悪かったようですね。
チームメイトのヨス・フェルスタッペン氏(マックスのパパ!)が火傷しましたので。
これらは、
フラビオ・ブリアトーレ氏、トム・ウォーキンショウ氏、ロス・ブラウン氏、ロリ・バーン氏たちベネトン首脳陣がシューマッハ氏をチャンピオンにするために仕組んだ仕業。
シューマッハ氏の話に戻りますが、彼がF1界で最も恐れた人物(ドライバー限定)で2人いる思います。
1人は、当時チームメイトだったジョニー・ハーバード氏ですが、
何故かハーバード氏に脅威を感じていた様子ですね。
このハーバード氏は、ただひとりシューマッハ氏専用のセットアップしたマシンでも乗りこなせる力量のドライバーで、それ以降はマシンの情報交換だけでなく、一切口も聞かないほどになったと言われていますね。
あと1人は、生涯唯一のライバルだったハッキネン氏ですね。
F3時代からライバルとして争ってましたが、シューマッハ氏がハッキネン氏には敵わないと認めたドライバーです(チャンピオンになるのは遅かったですが)
セナ氏が亡くなったサンマリノGPで優勝したシューマッハ氏が記者会見で泣いてコメントしている横で、3位のハッキネン氏が慰める姿が格好良くて泣けましたね。彼はナイスガイでした。
反対に2位だったニコラ・ラリーニ氏は、シューマッハ氏には関わりたくなさそうに顔を背けていたのが気になりました。嫌っていたのでしょうね。
現在、スキー事故で自宅療養中のシューマッハ氏ですが、一切非公開となっていますね。
中村さん、セナvsシューマッハをもっと見たかったですね。
シューマッハvsハッキネンはそこそこ楽しめたのですが、ハッキネンの人柄が地味な気がして、セナほど燃えませんでした。
おはようございます。
今年のF1では、フェラーリのパワーユニット不正疑惑?が取り沙汰されましたが、
F1の歴史において不正は、日常茶判事で、特別な出来事ではありませんね(だからと言って容認している訳では有りませんが)
過去の不正疑惑の大きなものとしては、
1981年のブラバムによる最低車高(車体底と路面の隙間を6cm以上確保)の不正が有りました(内容は省略します)
1984年のベネトンによるトラクションコントロール使用疑惑などなど
メルセデスも2018年まで、フェラーリと同じようにエンジンオイルも燃料の一部として使ってパワーを稼いでいましたね(ルノーもやっていて、ホンダだけはやっていない)
これら不正行為は、見方1つで技術の向上と捉える事も出来ますが、
ここが日本人(東洋)と外国人(特にヨーロッパ系西洋文化)との考え方の相違なのでしょうかね?ポルシェだけは、ホンダと似ているように思えるのですが。
ホンダはきっちりルールを遵守して最高の成績上げる事に価値を見出だす。
特に燃料に関しては、より少ない燃料使用で最大のパワー性能引き出す事に技術のチャレンジ価値を見出だす。環境や経済面においても。
かつて故本田宗一郎氏が、1987年、1988年のターボ規制(過給圧と燃料搭載量、車体重量)の時、こう言われました。
「バカな奴ら(FIAに対して)だ!我々(ホンダ)だけに、この規制を課したらよいものの!」
この言葉には、燃費競争で他のメーカーがホンダを負かす事は出来ないだろう!という自信の表れがあったのですね。
だからセナ氏と波長がドンピシャ!だったのですね。
ポルシェの事で、うんちく話を1つ!いつもすいません。
1984年(実戦デビューは1983年末から)に、マクラーレンMP4/2に搭載されたTAGポルシェターボですが、
このターボエンジンに使用の燃料(1984年はユニパート製、1985年からシェル石油に変更)には、冷凍ガソリンを使用していました。
ガソリンのシャーベット状態でしょうか?笑
1984年のレギュレーションでは使用搭載量220リットルまでですが、ガソリン燃料を凍らせる事で、実際の容量を22Oリットル以上を燃料タンクに詰め込む事が出来ます。レギュレーションにも抵触しない。
タンク自体の容積決まっているので、普通それ以上入れるとガソリン溢れますが、
液体を冷凍する事で、物質が収縮する現象を利用した訳ですね。
まさにコロンブスの卵の発想です。
現在のF1では、燃料の使用温度も厳格に決められていますね。
訂正ありました。
1984年のベネトンによるトラクションコントロール使用疑惑などなど
→1994年でしたね。
すいません。
ベネトンのトラクションコントロールはECUによるで点火カットで、ホイルスピンなどを防ぐ電子制御システムのプログラムの一部が組み込まれているのが発見されたが、実際使用したかどうか?の履歴までは解明出来なかったので、無罪放免となりました。
セナ氏は、生前最後までベネトンの不正を疑っていました。
マックス・フェルスタッペンの契約が2023年まで、延長されましたね。
うれしいです。
でも、2021年のドライバー移籍のドキドキが少しおさまりました。
後は、ホンダがいつまで継続できるかですね。
明けましておめでとうございます。昨年は私の長いコメントでしたが、お付き合い頂いて誠にありがとうございました。
今年も宜しく御願い致します。新ネタ(F1に限らず)期待しております。
フェラーリのルクレールに続いて、マックスのレッドブルホンダ2021年以降(~2023年まで)契約継続、本当に良かったですよね。
これによって今年のドライバータイトル挑戦に集中出来ますよね。
ベッテルのレッドブル復帰の可能性が無くなりましたが。
一方ベテランワールドチャンピオンの2人、ハミルトンとベッテルですが、まだ2021年の動向が決まっていませんが、ハミルトンもメルセデスに留まるようであれば、メルセデスのワークス参戦(車体も一緒にやる)は続くと予想しています。
反対にハミルトンがフェラーリに移籍(ルクレールのチームメイトになる)する事になれば、メルセデスはワークス参戦辞めて、パワーユニット供給のみ(ホンダと同じように)となり、2021年からメルセデスパワーユニットに変更するマクラーレンにベッテルが移籍する可能性も出てくるので、見逃せませんね。
いずれにしても、今年はトップ3(メルセデス、フェラーリ、レッドブルホンダ)の3つ巴争いが開幕戦から見られるのと同時に、2021年のF1も見られる2度美味しい楽しみあります。
本年度も宜しく御願い致します。
追伸
元旦、BSNHKのF1ドキュメント見られましたでしょうか?
レッドブルとホンダの裏エピソード、良かったですね。
レッドブルチームスタッフが、ホンダパワーユニットをかなり高評価してました。
ホンダ田辺氏のコメントが力強く頼もしい感じでしたね。
中村さん、あけましておめでとうございます。
実はF1ドキュメントを見ていないのです。
すみません。話についていけません。
うーむ。残念。
こんばんは。
いずれ再放送されるかと思うのですが。また、続編もやるかと思います。
その時は、レッドブルホンダがタイトル取っているかも知れないですね。笑
新型RA620Hのパワーユニット年間使用数3基(+アルファ1基)も気になるところですが。
早くRB16の姿を見たくて待ちどうしい限りです。2月頃に御披露目でしょうか?
勝手な想像してしまうのですが、インダクションポッド形状がRB15の楕円形から去年のフェラーリみたいな三角形で小型されていれば、ウワ~と唸ってしまうのですが。笑
楕円形でも、横長から縦長にすればドラッグが減って効果あるかな?とも思っています。
アルファタウリは、昨年仕様レッドブルRB15のパーツが取り入れられますよね。お下がりになりますが。
今宮さんがお亡くなりになったそうです。
悲しいです。
ご冥福をお祈りいたします。
昨日亡くなられたこと知りました。
F1の技術面の解説は森脇さん、ピット状況レポーターは川井さんでしたね。
今宮さんは、ドライバー(チームメイト同士の確執)やチームの裏側情報(マネージメント関係、移籍や離脱)の解説が、とても分かりやすくて参考になりました。
直接、見て聞いて現場取材されていたので信頼性ありました。
本当にお悔やみ申し上げます。
おはようございます。
2021年のフェラーリ、ルクレールのチームメイトとしてルノーワークスのダニエル・リカルドが候補に挙がっていますね。
リカルドならレッドブルでの優勝経験もありますし、1人よがりのところもなくチームの事を考えた振る舞い(ルクレールをサポート?)も出来るので、フェラーリドライバーには最適と思います。
ただ、昔からイタリア人ドライバー(リカルドはイタリア系)はフェラーリでは成功しないジンクスがあると言われていますね。
2020年は、まだベッテルがフェラーリで走りますが、2021年も引き続きフェラーリで走る事は考え難い(ルクレールをエースとして認めてNo.2ドライバー降格に甘んじる事)
2020年、フェラーリが成功するには何よりもルクレールとベッテルの協調性がポイントですね。
中村さん、ベッテルはどうなってしまうのでしょうね。
やっぱり、引退かな。
残念ですね。
ライコネンが頑張っているのをみると、ベッテルはまだまだ行けると思うんですが…
以前のコメントでも言ったかも知れないですが、アロンソのようにはなって欲しくないですね。
正直ホンダパワーユニット批判が無ければ、アロンソも好きなドライバーでした。
アロンソのようになるくらいなら引退した方が良いです。
ライコネンのように楽しんでF1ドライブするなら、トップ3チーム以外でも良いのですが、ベッテルにはワールドチャンピオンを狙えるチームで走って欲しいです。
レッドブル、フェラーリを経験したので最後はメルセデスワークスで走れば完全制覇となるのですが。
ルノーワークスは?疑問ですね。リカルドを持ってしても優勝出来ませんでした。