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1992年、圧倒的な強さを見せたのはウイリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルでした。
マシンは無敵のハイテクマシン・FW14B。
マンセルは開幕5連勝、14回のポールポジションという圧倒的な記録を打ち立てています。
そしてF1参戦13年目にして初のワールド・チャンピオンに輝いたのでした。
- 第1戦:南アフリカGP(キャラミ)3/1
- 第2戦:メキシコGP(メキシコシティー)3/22
- 第3戦:ブラジルGP(インテルラゴス)4/5
- 第4戦:スペインGP(カタルニア)5/3
- 第5戦:サンマリノGP(イモラ)5/17
- 第6戦:モナコGP(モンテカルロ)5/31
- 第7戦:カナダGP(モントリオール)6/14
- 第8戦:フランスGP(マニクール)7/5
- 第9戦:イギリスGP(シルバーストーン)7/12
- 第10戦:ドイツGP(ホッケンハイム)7/26
- 第11戦:ハンガリーGP(ハンガロリンク)8/16
- 第12戦:ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)8/30
- 第13戦:イタリアGP(モンツァ)9/13
- 第14戦:ポルトガルGP(エストリル)9/27
- 第15戦:日本GP(鈴鹿)10/25
- 第16戦:オーストラリアGP(アデレード)11/8
- まとめ
第1戦:南アフリカGP(キャラミ)3/1
このレースで最も見事だったのは4番手からスタートしたリカルド・パトレーゼでした。
スタートダッシュを決めたパトレーゼは2番手、3番手のマクラーレン・ホンダの間をすり抜け、ナイジェル・マンセルとのワン・ツー体制に持ち込みます。
その後もセナとのギャップを保ち、ウイリアムズ・ルノーの完勝でした。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
第2戦:メキシコGP(メキシコシティー)3/22
予選でウイリアムズに続いたのはベネトンでした。
しかし、スタートでウイリアムズに続いたのはセナ。
マンセル、パトレーゼは異次元の走りでセナを置き去りにしていきます。
セナは11周でギアボックストラブルを起こしリタイアとなってしまいました。
このレースでミハエル・シューマッハーは初めての表彰台を獲得しています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
アイルトン・セナ:リタイア(ギアボックス)
第3戦:ブラジルGP(インテルラゴス)4/5
マクラーレンはMP4/7Aを投入します。セミオートマ、トラクションコントロール、フライバイワイヤ制御システム等を実装したハイテクマシンによってウィリアムズに追随しようとします。
しかし、全く歯が立たず、セナは18周目にリタイアしてしまいます。
結果はメキシコと同じ表彰台になっています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
アイルトン・セナ:リタイア(電気系)
第4戦:スペインGP(カタルニア)5/3
雨で濡れたサーキットのレースとなります。
目立ったのはジャン・アレジのアグレッシブな走りです。
8番手からスタートしたアレジは一気に3番手まで浮上。
その後、ベルガー、ハッキネンとの接触を乗り越えセナに続きます。
ここでパトレーゼはクラッシュししリタイア。
3位走行していたセナもリタイアし、アレジは3位表彰台を獲得しました。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
9位:アイルトン・セナ:リタイア(完走扱い)
第5戦:サンマリノGP(イモラ)5/17
ここでもマンセルの強さは変わらず。
パトレーゼとのギャップも開き、前人未踏の開幕5連勝を達成します。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
第6戦:モナコGP(モンテカルロ)5/31
マンセル対セナの伝説のレースとなります。
ポールからスタートしたマンセルは盤石の走りで、セナとのギャップを開いていきます。
しかし、スローパンクチャー(ナットの緩み)に見舞われピットイン。
セナに逆転を許し、必死の追走も及ばず。
マンセルはモナコで勝つことが出来ませんでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
第7戦:カナダGP(モントリオール)6/14
ついにセナがシーズン初ポールを奪取します。
スタートもセナが先行。
15周目、マンセルはセナをパスするためブレーキを送らせアタック。
しかし、セナのテクニックによってコースをはみ出しリタイアしてしまいます。
健闘したセナでしたが、38周目に電気系統のトラブルでレースを継続することは出来ませでした。
1位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
アイルトン・セナ:リタイア(電気系)
ナイジェル・マンセル:リタイア(アクシデント)
第8戦:フランスGP(マニクール)7/5
オープニングラップでシューマッハがセナに激突。
セナはリタイアを余儀なくされました。
その後の雨で2ヒート制に。
チームオーダーによってパトレーゼはマンセルを先行させ、ワンツー体制のままゴールしています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:マーティン・ブランドル(ベネトン・フォード)
アイルトン・セナ:リタイア(アクシデント)
第9戦:イギリスGP(シルバーストーン)7/12
ナイジェル・マンセルはスタートでリカルド・パトレーゼに先行を許しますが、その後盤石の走り。
ファステストラップを刻みながら、パトレーゼとのギャップを開き、余裕の母国優勝を成し遂げます。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:マーティン・ブランドル(ベネトン・フォード)
アイルトン・セナ:リタイア(ギアボックス)
第10戦:ドイツGP(ホッケンハイム)7/26
ドイツでもウイリアムズのワンツー体制は変わらず。
しかし、セナはタイヤ交換なしの戦略でウイリアムズに対抗します。
マンセルのタイヤ交換でセナがリード。
マンセルとセナの激しいバトルが展開されますが、マシン性能の差はいかんともしがたく、マンセルにパスされてしまいました。
パトレーゼもタイヤ交換でセナの後塵を拝することに。
しかし、最終ラップ、セナに最後のアタックをしかけます。
パトレーゼはアタックをセナに跳ね返されコースアウトしてしまいました。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
第11戦:ハンガリーGP(ハンガロリンク)8/16
ここでマンセルが優勝、パトレーゼが3位以下ならばチャンピオンが決まるレースとなります。
しかし、マンセルはスタートを失敗し、4番手に。
39周目パトレーゼがスピン。7位まで後退。
さらにエンジンのトラブルで大事なレースをリタイアしてしまいます。
マンセルもペースを上げられず、62周目タイヤの異常でピットへ。
6位まで後退しますが、チャンピオンを決める激走で2位まで挽回します。
マンセルは13年目にして初のワールドチャンピオンの称号を手にしたのでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
第12戦:ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)8/30
天候がめまぐるしく変わるスパ・ウエザーに翻弄されたレース。
小雨から激しい雨へ、そして雨があがります。
30周目にはドライ路面に。すかさず31周目シューマッハーはスリックへ交換。
ドンピシャのタイミングでシューマッハーはトップのままゴール。
シューマッハーはF1で18戦目、23歳での初優勝を飾ったのでした。
1位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
5位:アイルトン・セナ
第13戦:イタリアGP(モンツァ)9/13
イタリア・モンツァに衝撃が走りました。
ホンダがF1撤退を発表したのです。
さらに、ウイリアムズの時期ドライバーの噂(プロストかセナか)から、マンセルは引退宣言をしてしまいます。
しかし、レースでは相変わらず早く、マンセルはレースをリードしていましたが、42周目油圧のトラブルによってリタイア。
パトレーゼも同じトラブルでスローダウンし、セナが優勝を手にします。
ホンダ70勝目のメモリアルレースとなったのでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:マーティン・ブランドル(ベネトン・フォード)
3位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
ナイジェル・マンセル:リタイア(油圧)
第14戦:ポルトガルGP(エストリル)9/27
ウイリアムズは来期アラン・プロストがカムバックすることを発表。マンセルはカートへの転向を決意しました。
チャンピオンの放出という異例の展開に周囲は驚かされました。
しかし、レースでは例によって盤石。
パトレーゼはピットストップでジャッキが壊れるトラブルに見舞われますが、マンセルは悠々とトップでゴールします。シーズン9勝目の記録となりました。
パトレーゼはベルガーとのバトルで、大きなクラッシュに見舞われます。
ピットストップのためスピードを落としたベルガーのリアタイヤに乗り上げたパトレーゼのマシンが、宙を舞う壮絶な事故となりました。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
第15戦:日本GP(鈴鹿)10/25
セナはエンジンの不調で3周目、早々とリタイア。
ナイジェル・マンセルも45周目、エンジンブローでリタイアしてしまいます。
11台がリタイアする荒れたレースでパトレーゼが勝利を手にしました。
1位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:マーティン・ブランドル(ベネトン・フォード)
アイルトン・セナ:リタイア(エンジン)
ナイジェル・マンセル:リタイア(エンジン)
第16戦:オーストラリアGP(アデレード)11/8
マンセルはシーズン14回目のポールを獲得。レースを引っ張っていきます。
序盤はセナとマンセルがバトルを繰り広げ面白い展開になります。
しかし、バックマーカーが出始めた19周目、スピードを緩めたマンセルにセナが追突。
両者リタイアとなってしまいました。
51周目にパトレーゼも燃圧のトラブルでリタイアを喫します。
勝ったのはパトレーゼと争ったベルガーでした。
1位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
2位:ミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
3位:マーティン・ブランドル(ベネトン・フォード)
まとめ
この年はナイジェル・マンセルの圧勝の年でした。
しかし、モナコで勝つことが出来なかったことは心残りだったでしょう。
マンセルは13年というキャリアで、大事なところのタイヤのトラブルに見舞われ続けていました。この年もモナコの不運には勝つことが出来なかったのです。
アイルトン・セナは結局、ウイリアムズとのマシン性能のギャップを埋めることができず、さらにリタイアが続き、チャンピオンシップで4位に低迷しています(シューマッハーが3位)。
ホンダもF1からの撤退を、ウイリアムズはプロストとの契約を発表。
1993年、セナはどうするのか、心配されながらシーズンは幕を閉じたのでした。
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コメント
おはようございます。
ウィリアムズ関連もあったのですね。
やはりウィリアムズと言えば、マンセル氏とFW14Bですね。
マンセル氏ほど、ウィリアムズを代表するドライバーはいないのではないでしょうか!
1985年に、ロータスから移籍して、ケケ・ロズベルク氏のチームメイトとして加わりましたが、ここからマンセル氏が頭角を表すきっかけとなりました。
さらにホンダターボ快進撃の原動力ともなる。
ところが、1986年に重大事態が発生しました。
ウィリアムズ代表フランク・ウィリアムズ氏が交通事故により現場から離れる事となり、その間テクニカルアドバイザーのパトリック・ヘッド氏がチームを管理する事となりましたが、新たに加わったネルソン・ピケ氏とマンセル氏に確執が発生しました。
マクラーレン・ホンダのセナ・プロ以上と言われてました。
1981年、1983年ワールドチャンピオンのピケ氏がNo.1待遇で迎えられましたが、先にウィリアムズにいたマンセル氏にして見れば当然気に入らない。
セットアップの情報交換無しは勿論、お互いに口も聞かない状況で、
完全真っ二つに別れたチームに対して、嫌気が指したホンダがエンジン供給継続を取り辞めて、マクラーレンに供給切り替えたそうですね。
ホンダターボを失ったウィリアムズですが、
1988年マンセル氏は残り(1989年には一旦離れ、フェラーリに移籍)、ピケ氏はロータスに移籍して、それからは下降線を辿って行く。
フェラーリで2年間過ごしたマンセル氏が、古巣ウィリアムズに復帰して遂に念願のワールドチャンピオンに輝いたのは、皆さん御承知の通り。
さらに話が続き、1994年亡くなったセナ氏に代わり、急遽アメリカインディーシリーズから駆けつけてスポット参戦でウィリアムズFW16Bをドライブ、ウィリアムズチームの危機を救いましたね。泣けますね。
中村 さん、たくさん、ありがとうございます。
マンセルがウイリアムズに戻ってきた時のことは、記憶にありません。
というのも、セナが亡くなって、5月以降のF1を見ていないと思います。
記憶がハッキリしませんが、喪に服していたような…
マンセルは侠気があって好きです。
トラブルも色々(セナに殴りかかったとか、黒旗無視でセナにぶつかったとか)ありましたね。
最後はマクラーレンのマシンが気にいらなくて、結局引退してしまいました。
こんばんは。
そうだったですか?
1994年は、本当にひどかったですね。
結局、この年の最終戦オーストラリアGPで、ベネトンのシューマッハ氏とウィリアムズのデーモン・ヒル氏がチャンピオン争いしてシューマッハ氏がドライバータイトル獲得しました。シューマッハ氏とヒル氏が絡んで、2人ともリタイアという形で。
コンストラクタータイトルの方は、ウィリアムズが獲得しました。マンセルがチームを救ったお陰で。
1992年のモナコGPラストの攻防は、今でも語り草ですね。
ほぼマンセル氏の手中に入った優勝が、またもやタイヤトラブルでこぼれ落ちてしまいました。1986年オーストラリアGPのように。
お尻に火の付いたマンセルが左右に車を振りながらセナ氏にプレッシャーを掛けましたが、最後までセナ氏のブロック固く2位で終わりましたね。
しかし無冠の帝王だった男が、この年タイトル取れたのですから良かったです。
1992年と1994年はフジテレビ制作のDVDを持っています。
どちらも私にとっては忘れられない年です。
1994年のセナが亡くなってからのことはDVDしか見てないので印象が薄いみたいです。
1980年台、1990年台はダイジェストのDVDを持っていますが、いろいろと編集がしてあって物足りない気がします。
1992年と1994年は、DVDをまた見たい気がして来ました。
でも、今宮さんの解説が大人しいので、インパクト欠けます。
やっぱり深夜に食い入るように見た地上波が懐かしいです。