Photo by Rocco Lucia
2016年、マクラーレンからレッドブルのパートナーになる「タグ・ホイヤー」。
その年のレッドブルの車は「レッドブル・レーシング・タグ・ホイヤーRB12」と呼ばれました。
タグ・ホイヤーは30年もの間、マクラーレンとのパートナーシップを継続していました。
手元の資料によるとマクラーレンのポルシェエンジンにTAGバッジが付いていたのは1983年から1987年までです。
そのため、私は1983年からパートナーシップが続いていると思っていたのですが、タグ・ホイヤーのサイトで歴史を調べてみる1985年からとなっています。
McLaren MP4/2 photo by Bill Abbott
以下の記事でも、5年間タグブランドのバッジが付いていたことになっています。
タグ・ホイヤーはマクラーレンと30年に渡ってパートナーシップを結んできた。今とは異なるオーナーシップだった1980年代には5年間、マクラーレンのポルシェ製エンジンにタグブランドのバッジが使用されている。
出典 タグ・ホイヤー離脱は「何ら問題なし」とデニス(ESPN F1)
この2年の違いは、どういうことなのでしょうか?
1985年がタグ・ホイヤーとマクラーレンの出会い
タグ・ホイヤーの公式サイトには歴史のページがあります。
以前は動画があって、「1985年 タグ・ホイヤーとマクラーレン・メルセデスのパートナーシップ」と明記されていました。
しかし、現在はページがリニューアルされ、以下のように記載されています。
1885-2004
再生と近代化
TAG(テクニーク・ダバンギャルド)ビジネスグループ傘下となることで、タグ・ホイヤーは機械式クロノグラフ関連のブランドから、21世紀に向けた時計製造を手掛ける企業へと生まれ変わりました。1980年代に開発されたモデルが、現在のタグ・ホイヤーの主力製品となりました。出典 タグ・ホイヤーの歴史(TAGHeuer)
※年号に幅がありますので以前より分かりにくくなりましたが、このページでは以前のサイトの記述を元に「1985年 タグ・ホイヤーとマクラーレン・メルセデスのパートナーシップ」というスタンスで記事を展開しています。
1983年から登場した マクラーレンMP4/1E・TAGポルシェ
McLaren MP4/2 photo by Nic Redhead
マクラーレンがTAGバッジをつけたポルシェエンジンを使っていたのは1983年後半から1987年までです。
1983年の開幕からはフォードエンジンを積んだ「マクラーレンMP4/1C」でF1に参戦していました。第12戦オランダGPからTAGポルシェエンジンを積んだ「マクラーレンMP4/1Eを」投入しています。
それから1987年の「マクラーレンMP4/3」まで、TAGポルシェエンジンが搭載されていました。
タグ・ホイヤーとのパートナーシップ開始は1985年ですから、1983年、1984年のTAGはタグ・ホイヤーではなかったということになりますね。
そこで調べたのがやっぱり頼りになるWikipediaです。
「TAGポルシェ」でサーチすると「マクラーレン・MP4/2」のページがヒットしました。
エンジンは一貫して、共同オーナーのマンスール・オジェ率いるテクニーク・ダバンギャルド (TAG) の資金を得てポルシェに開発を委託したターボエンジンを搭載した。このエンジンのバッジネームは「TAG」であるが、しばしば「TAGポルシェ」と通称される。
出典 「マクラーレン・MP4/2」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2015年12月7日22時(日本時間)現在での最新版を取得。
TAGとは「テクニーク・ダバンギャルド」のことだったのです。
しかし、冒頭で引用したESPN F1のページ記事とは矛盾が生じることになります。
タグ・ホイヤーがテクニーク・ダバンギャルドの子会社になった年が1985年
さらにリンクを辿るとやっと疑問に対する回答に行き当たりました。
タグ・ホイヤー(TAG Heuer)は1985年にTAGがレース計時で知られていたホイヤー社を買収して子会社としたものである。製品ラインアップを近代化し、スイス製腕時計の大手になった。タグ・ホイヤーは1990年代にグループから外され、1999年にLVMHに7億4000万米ドルで売却された。
出典 「テクニーク・ダバンギャルド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2015年12月7日22時(日本時間)現在での最新版を取得。
タグ・ホイヤーは1985年、TAG(テクニーク・ダバンギャルド)グループの子会社になる前までは「ホイヤー(Heuer)」が社名でした。
1985年からTAGグループの子会社となり、「TAG」がついて「タグ・ホイヤー(TAG Heuer) 」となったのでした。
そして、その時からマクラーレンとのパートナーシップは始まったのです。
私の疑問は「TAG」をそのまま「タグ・ホイヤー」に結びつけてしまったことから生まれました。
マンスール・オジェとマクラーレンは1982年の12月に新組織 TAG Turbo Engines を設立し、この組織とポルシェの間で契約を結んだ。 ポルシェによって開発された1500ccターボエンジンにはTAGのバッジネームが付けられた。このエンジンはTTE PO1と名付けられ、1983年オランダグランプリで実戦にデビューした。このエンジンはマクラーレンのみが1987年シーズンまで使用し、1984年から1986年まで3年連続のドライバーズチャンピオンと、1984年、1985年の2年連続のコンストラクターズチャンピオンの獲得を支えた。このエンジンは、しばしば「TAGポルシェ」と通称される。
出典 「テクニーク・ダバンギャルド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2015年12月7日22時(日本時間)現在での最新版を取得。
TAGグループはすでにマクラーレンと共同で「TAG Turbo Engines」を設立し、ポルシェが委託開発したのが「TAGポルシェ」エンジンでした。
1983年から1985年までの間「ホイヤー」とは無関係だったことが分かります。
TAGとホイヤーを同様に扱った記事がありますが、正確性に欠けると言えるかもしれませんね。
まとめ
このページで見てきた経緯によってマクラーレンとタグ・ホイヤーは結ばれたわけですが、その長い歴史にも終止符が打たれました。
ロン・デニスはタグ・ホイヤーの離脱は問題ないと語っていましたが、マクラーレンの歴史の中で、1983年から1987年までの数々の栄光を支えたポルシェエンジンに「TAG」のバッジが付いていたことを思うと、複雑な気持ちになりました。
※このページは疑問を提起して解決する手法をとりましたので、いささか分かりにくい構成になっています。
当ページのコメントに加茂義哉さんから年表をご提供いただいていて、そちらが分かりやすくまとめてあります。
是非、加茂義哉さんのコメントをご参照ください。
© bluelady.jp
コメント
TAGとタグ・ホイヤーの関係が全く理解出来ていないようです。
ちなみに1999年からタグ・ホイヤーはTAGグループではありません。
TAGは投資会社。
1860年 ホイヤーさんが自分の時計会社を始める
1983年 ポルシェに資金提供してエンジンを開発させる。
1985年 ホイヤーに資金提供し、ホイヤーはTAGホイヤーとなる。
同時にマクラーレンのスポンサーとなる。
1999年 タグ・ホイヤーの名称のまま、LVMH傘下となる。
加茂 義哉 さん、書き込みありがとうございます。
ご指摘の年表の通りで、まちがいありません。
一応、この流れは理解した上でページを書いたつもりですが、誤解をまねく記述があったかもしれません。
おはようございます。
私もTAGグループとマクラーレン、そしてTAGホイヤーの関係性、勉強になります。
知らない事がたくさんありました。
この時代、F1のタイムキーパー計測機器供給がTAGホイヤーでしたね。
タイムをプリントアウトするプリンターの供給がオリベッテイだったかな?
それにしても、マクラーレンに搭載されたTAGポルシェターボエンジン、今でも忘れられません。エンジンのカムカバーにTAGマークが誇らしく刻まれてるのが印象的で、いかにもマクラーレンMP4/2のためだけに造られたF1専用ターボユニットという感じがしますね。
TAGポルシェターボエンジンに関しては、いつもボッシュのエンジニアスタッフが着きっきりで面倒見ている光景も印象的でした。
昨年のレッドブルに搭載されていたルノー製パワーユニットもTAGのバッジネームが付いていたので、本当は「TAGルノー」とするところを「TAGホイヤー」にしたのが心憎いですね。
1993年にホンダエンジンを失って、フォードV8エンジン(カスタマー仕様)にした時も、ベネトンのフォードV8(ワークス仕様)よりも劣っていたので、マクラーレンがTAGエレクトロニクスの力を借りて改良(主にエンジンマネージメントシステム系)したので、TAGフォードと呼ぶにふさわしいエンジンですね(私の独自解釈ですが)
シーズン途中からマクラーレンにもベネトンと同じ最新のワークス仕様が供給される事にはなりましたが、セナ氏のモチベーション上げるためTAGエレクトロニクスは引き続き、エンジンとアクティブサスペンションの開発に取り組みました。
追伸
元旦に、NHKBSだと思いますが、ホンダF1活動のドキュメント番組が放送されると思います。既にご存知かと思いますが、必見ですね。
きっとレッドブルチームの活動裏側も見れそうで楽しみです。