Photo by Nic Redhead
マクラーレンは赤と白のマールボロ・カラーがトレードマークだったのですが、1997年からWestのマークをつけ、黒と銀のマシンに変わります。
はじめて見たとき、強そうになったと思いましたが、前年までと違う色のマシンが寂しくも感じられました。
ドライバーはミカ・ハッキネンとデヴィッド・クルサードの盤石のコンビが続いています。
MP4-12(1997)
Photo by Ian Richardson
この「MP4-12」から「/」が「-」に変わっています。
赤白にメルセデスのマークは違和感がありましたが、この黒銀カラーにはシルバーアローのメルセデスマークがよく合います。
開幕戦オーストラリアGPでクルサードが勝利しハッキネンも3位に入っています。
アイルトン・セナの1993年以降、勝利の美酒を味わうことがなかったマクラーレンは開幕戦から好調を示し、復活を印象づけました。
しかし、シーズンが終わってみれば3勝どまりでした。
シーズン後半から開発にエイドリアン・ニューウェイが加わったものの、マシンはまだ熟成を待たなければなりませんでした。
この年もウイリアムズの優位は変わらず、ジャック・ヴィルヌーブがチャンピオンとなっています。
MP4-13(1998)
Photo by Simon Clancy
「MP4-13」の印象は「MP4-12」と大差はありません。
しかし、中身は大きく違っていました。
ミカ・ハッキネンは開幕から2連勝し、その後も好調を維持しています。
フェラーリのミハエル・シューマッハと激しいバトルを繰り広げ、チャンピオンへの熾烈な戦いは最終戦までもつれ込みます。
1998年、通算8勝をあげたハッキネンは初のワールド・チャンピオンを獲得しました。
「MP4-13」によってマクラーレンは、完全復活を成し遂げたのでした。
MP4-14(1999)
Photo by David Merrett
1999年、この年もハッキネンとシューマッハがチャンピオンシップをリードすることになります。
ところが、シューマッハは第8戦イギリスGPでクラッシュし負傷してしまいます。
以降6戦の欠場を余儀なくされたシューマッハはタイトル争いから離脱せざるをえませんでした。
エイドリアン・ニューウェイがデザインした「MP4-14」は期待通りの性能を発揮するかと思われましたが、信頼性に苦しみます。
チャンピオンシップはハッキネンとフェラーリのエディ・アーバインの争いとなり、からくもハッキネンは2年連続のチャンピオンとなっています。
まとめ
エイドリアン・ニューウェイが加わって、マクラーレンは復活したかに見えますが、チーフ・デザイナーのニール・オートレイの働きの方が大きかったのかもしれません。
「MP4-13」はオートレイの設計でした。
エイドリアン・ニューウェイが設計した「MP4-14」は速いが壊れやすい美しいガラスのようなマシンになってしまいました。
ともあれ、マクラーレンは完全に復活し、メルセデスとのタッグをF1史に刻むことになったのでした。
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