Photo by United Autosports MP4-16
2000年以降のマクラーレンは引き続きエイドリアン・ニューウェイのマシンを使っています。
1998年1999年のミカ・ハッキネンの連覇によって、アイルトン・セナ以来のチャンピオンを送り出したマクラーレンは完全復活を遂げたかに見えました。
しかし、F1の歴史はミハエル・シューマッハの時代へと移っていくのでした。
MP4-15(2000)
photo by Ben Sutherland
「MP4-15」はエイドリアン・ニューウェイが設計した「MP4-14」に改良を加えたマシンです。
銀黒カラーとなってからは外見の変化が目立たない印象で、マシン的にはあまり目を引きませんでした。
しかし、2000年のF1レースはF1史に残るオーバーテイクシーンを生み出しました。
その舞台は第13戦ベルギーGP。
ハッキネンは周回遅れを処理するためにスピードの鈍ったシューマッハを周回遅れのマシンごとぶち抜いて見せたのです。
すこし地味な感じのミカ・ハッキネンがその時ほど輝いて見えたことはありません。
そして、そのシーンは今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
私はこの時のオーバーテイクをF1のベストシーンの一つだと思っています。
……
この年もシューマッハ vs ハッキネンのチャンピオン争いは熾烈を極めました。
シューマッハに開幕ダッシュを許したハッキネンは粘り、五分の戦いを見せています。
この年の優勝はフェラーリ勢(シューマッハとバリチェロ)10勝、マクラーレン勢(ハッキネンとクルサード)7勝で、フェラーリかマクラーレンしか勝たないという結果となりました。
9勝を上げたシューマッハはベネトン以来の3度目のチャンピオンとなったのでした。
MP4-16(2001)
photo by United Autosports
「MP4-16」はエイドリアン・ニューウェイが新たに設計したマシンです。
「MP4-15」と比べるとよりノーズが高くなっていることが目立ちました。
2000年ごろのF1マシンには現在のような高い信頼性はなく、どのチームを見てもマシントラブルが多く見られました。
「MP4-16」もトラブルが多く、ハッキネンにいたっては17戦中8回ものリタイア(第5戦スペインGPは最終ラップのトラブルで9位完走扱い)を喫しています。
結果、フェラーリに独走を許し、完全にミハエル・シューマッハの時代に移行してしまったのです。
モチベーションを失ったハッキネンは翌年の休養を決め、その後F1レースに戻ってくることはありませんでした。
MP4-17(2002)
photo by Dima Moroz
2002年はミカ・ハッキネンの代わりにキミ・ライコネンがマクラーレンに加わり、デヴィッド・クルサードとタッグを組みます。
この年のF1はフェラーリのシューマッハが強すぎて、全く面白くなくなりました。
シューマッハは17戦中11勝を上げて、ぶっちぎりで5度目のチャンピオンとなっています。
「MP4-17」も対抗出来ず、クルサードが上げた1勝に留まりました。
……
マクラーレンは「MP4-17」の改良型「MP4-17D」を2003年にも投入しました。
2003年のライコネンは堅実な走りを見せ、初優勝(第2戦マレーシアGP)1回を含む10回の表彰台にあがっています。
ミハエル・シューマッハと堂々としたチャンピオン争いを繰り広げ、実力を世界にしめしたのでした。
まとめ
2000年以降の5年間はミハエル・シューマッハの時代です。
ハッキネンとの戦いが見所だったF1も面白さを失っていきました。
マクラーレンのマシンに、もう少し信頼性があればF1の歴史は違っていたかもしれません。
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