デヴィッド・ボウイの伝記映画「スターダスト(Stardust)」の制作が発表されました。
ボウイ役をジョニー・フリン、アンジー役をジェナ・マローンが務めます。監督はガブリエル・レンジ。脚本はクリストファー・ベルです。
いまだにボウイの曲の使用権は認められていないので、本当に制作されるかは分かりません。
この映画の企画で面白いと思ったのは、デヴィッド・ボウイの最初のアメリカ行きを題材にしているところです。
デヴィッド・ボウイはアメリカで様々な出会いがあり、インスピレーションを得て、傑作アルバムの数々を生み出していきました。
デヴィッド・ボウイのアルバム「ハンキー・ドリー」「ジギー・スターダスト」「アラジンセイン」の3枚は最初のアメリカ行きがあったからこそ生まれたアルバムと言えるでしょう。
まさに初期の傑作アルバムです。
それらのリリースは1971年から1973年のこと。
このジギー期にボウイはアメリカでいったい何を得たのでしょうか?
特にルー・リード、アンディ・ウォーホル、イギー・ポップらとの出会いはボウイの歴史のなかで重要なものとされています。
手元の資料(「デヴィッド・ボウイ ザ・ゴールデン・イヤーズ」等)を紐解きながら、ここで整理しておきたいと思います。
デヴィッド・ボウイ、初めてのアメリカ(1971年)
デヴィッド・ボウイの最初のアメリカ行きは1971年1月23日から2月17日のことです。
アルバム「世界を売った男」のプロモーションが目的でした。マーキュリーのロン・オバーマンがお膳立てしたアメリカでのプロモーションです。
渡米は飛行機によるものでした。
デヴィッド・ボウイは飛行機嫌いとされていますが、この段階ではまだ大丈夫だったようです。
アメリカでのプロモーションでは、ローリング・ストーン誌の記者:ジョン・メンデルソーンが動向し、ラジオ局巡りを行っています。
デヴィッド・ボウイはラジオ局でイギー・ポップの曲に興味を示したと言われています。
さらに、2月13日には「月世界の白昼夢」「君の意志のままに」のデモを制作。
この時、既にジギー・スターダストの着想を得ていたのです。
デヴィッド・ボウイはアメリカに直に触れることによって、イギー・ポップ、ルー・リード、ヴィンス・テイラー、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイらを融合させたキャラクターの創造に着手したのでした。
……
その後、DJのロドニー・ビンゲンハイマーと知り合ったり、メンデルソーンらとバレンタイン・パーティーに参加したりしています。
デヴィッド・ボウイは最初のアメリカで「世界を売った男」のジャケットのようなロングドレスを着ていました。この時代感覚が私には想像できません。
ルー・リードに会ったのはいつ?
2度目の渡米は9月8日。RCAとの契約書にサインするため、アンジー、ロンソン、デフリーズとともにデヴィッド・ボウイはニューヨークに降り立ちました。(この時も飛行機)
翌9月9日、デビッド・ボウイは契約書署名の後、マクシズ・カンサス・シティーを訪れています。
その日、ジンジャー・マン・レストランで初めてルー・リードに会っています(※)。
さらにボウイの滞在するワーウィック・ホテルで、アルバムのデモを聴かせあったりしてルー・リードと交友を深めています。(デヴィッド・ボーイは「ハンキー・ドリー」のアセテートを持参していた。)
……
(※)実はルー・リードに初めて会ったのは実際はいつだったのか判然としません。
「デヴィッド・ボウイ ザ・ゴールデン・イヤーズ」では9月9日「初対面する」という記載があります。(P066)
ところが、最初のアメリカ訪問の1月29日にも、ボウイはエレクトリック・サーカスでヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライブを最前列でみたあと、楽屋におしかけ10分ほど曲作りの話をしたと書いてあります。(P044)
デヴィッド・ボウイがルー・リードと初めて会ったのは1971年1月29日か9月9日か?
どちらなのでしょうか?
参照「デヴィッド・ボウイ ザ・ゴールデン・イヤーズ」 著者:ロジャー・グリフィン 発行:株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント
(追記)
Twitterで教えていただきました。
9月9日が正しいとのこと。1月29日はボウイの勘違いだったようです。(実はダグ・ユールだった)
「てつや」さん、ありがとうございました。
アンディ・ウォーホルとの出会い
デヴィッド・ボウイがアンディ・ウォーホルに初めて会ったのは1971年9月14日のことです。
トニー・ザネッタの紹介でデヴィッド・ボウイ一行はアンディ・ウォーホルのファクトリーを訪れています。
この時「ハンキー・ドリー」収録の「アンディ・ウォーホル」のアセテート盤を聴かせます。
曲については、共感は得られなかったようですが、デヴィッド・ボウイの履いていた靴のデザインで会話が弾んだようです。
アンディとはルーとの関係のような深い友情が芽生えることはありませんでした。
しかし、ボウイはその後、映画「バスキア」でアンディ・ウォーホルの役を演じることになります。
1971年の出会いが役立ったことは言うまでもないでしょう。
イギー・ポップに会ったのは翌1972年、ロンドンにて
デヴィッド・ボウイは2度目の渡米でルー・リードとあった後、イギー・ポップとも会いたがっていました。
その連絡はイギーに伝わったものの、実際に会うことはありませんでした。(連絡があった夜、イギー・ポップはマネージャーの家で映画を観ていたとか…)
ボウイがイギー・ポップと初めて会ったのは1972年7月16日、英ロンドンのドーチェスターホテルにおいてです。
……
話が前後しますが、1972年6月にもデヴィッド・ボウイはアメリカを訪れています。(たぶん飛行機)
デヴィッド・ボウイは6月6日にアルバム「ジギー・スターダスト」をリリース。
6月9日から3日間、ニューヨークへプロモーションのために赴いています。
この時、マディソン・スクエアガーデンではエルヴィス・プレスリーの公演が行われていました。
プレスリーのファンだったデヴィッド・ボウイはプレスリーが観たかったためにスケジュールを合わせたんじゃないでしょうか。
プレスリーのファンだったという事実は後に「アラジン・セイン」のメークでも生きることになったと言われています。(パナのマーク以外にもプレスリーの指輪から発想したという説もあるのです。)
……
デヴィッド・ボウイは「ジギー・スターダスト」リリースに合わせ、全英ツアー中。7月15日にツアーがフィナーレを迎えます。
そんな中、7月8日のロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホールのチャリティ・コンサートでは、ルー・リードと競演。
7月14日、ルー・リード、初のイギリス公演。
さらに7月15日、イギー&ザ・ストゥージズの初のイギリス公演と、イギリスでボウイ、ルー、イギー3人のスケジュールが重なります。
こうして、1972年7月16日、ミック・ロックはドーチェスターホテルで3人をとらえた歴史的な撮影に成功することが出来たのです。
その年、デヴィッド・ボウイはさらなる飛躍を遂げます。
9月から初めての全米ツアーが開始されたのでした。
クイーン・エリザベス2世号へ乗船して全米ツアーへ
1972年9月10日、デヴィッド・ボウイとアンジーらはクイーン・エリザベス2世に乗船してアメリカへ向かいます。(ここからは船で移動)
9月22日、オハイオ州クリーブランド・ミュージック・ホールから初のアメリカ公演が開催されるのです。
ジギー・スターダストはついにアメリカへ。
……
デヴィッド・ボウイは全米ツアーの合間を縫うようにイギー・ポップ&ストゥージズの代表作「ローパワー」にも手を貸しています。
また、プロデュースで参加したルー・リードのアルバム「トランスフォーマー」が11月にリリースされています。
さらに、全米ツアーをこなしながら「アラジン・セイン」の制作を開始。
アメリカでのツアー経験が「アラジン・セイン」へ注ぎ込まれるのでした。
最後に
ここまで見てくると、デヴィッド・ボウイの黄金期がアメリカなくして語ることができないということが分かってきます。
さらにデヴィッド・ボウイは「ダイヤモンドの犬」「ヤング・アメリカンズ」でドップリとアメリカに浸ることになるのでした。
……
さて、デヴィッド・ボウイの伝記映画「スターダスト(Stardust)」が公開されるとしたら、どのような出会いが描かれるのでしょうか?
そこが観てみたいですね。
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コメント
ボウイの伝記映画は息子のダンカン以外無理そうですが
今のところやる気はないようですね。
アニメ化ならいいよ。とういことですが
それだと星の王子様みたいになるんでしょうか?
まあ、どんなものだとしても見るとは思いますが―
名無しの音ちゃんさん、ありがとうございます。
映画制作の発表はしたけど、結局公開されなかったということになるのでしょうか?
「ボヘミアン・ラプソディ」はメインがクイーンの本物のライブなので、作りがうまいと感じました。
ボウイの映画もやるなら、本物のボウイをメインにすえていただきたいと思います。
なんと「JUST A GIGOLO/ ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK」初CD化されます。
来月リリースされ、LPより7曲多い全22曲。
ボウイ自身がスキャット?ハミング?で参加した「The Revolutionary Song 」を4パターン収録。
永らくCD化が待たれたサントラがついにCD化です。
この喜びは「地球に落ちて来た男」サントラCD化以上のものです。
嬉しい。これはamazonに注文しました。
aladdindogsさん、これって大ニュースだったんですか?
分かっていればブログで取り上げたんですが…
ボウイの曲は「革命の時」でしたっけ?
私は1月29日にAmazonで見つけて予約してました。
「コンプリート・メインマン・レコーディングス1971-74」も同時に見つけて予約してます。
「革命の時」ではなくて「革命の歌」でした。
※「革命のとき」は平井和正の短編小説のタイトルでした。
今年のRSDのボウイリリースは「Pin Ups」のピクチャーLPだそうですが、これだけだったら寂しいですね。
今回は未発表ライブは出ないのでしょうか?
aladdindogsさん、ありがとうございます。
例年、直前になって追加されたりしてますから、今年も期待しましょう。
今年は「Spying Through a Keyhole」が出るので、もういいかな…とも思っていますが。
Linさん、「Spying Through a Keyhole」もRSDでの販売かと思ってましたが、そうではなくて良かったです。
そう言えば、昨年のRSDで販売された「Let’s Dance」デモは未だに売れ残ってますから、RSDも少しは考えを変えているのかも知れません。
aladdindogsさん、まだ「Let’s Dance」デモがあるんですか!
レコードプレイヤーがあれば、即買うのですが…
私の場合、プレイヤーをいつも検討しているのですが、その度に買いそびれています。
お金以外の状況が許さないことが多いです。(詳細は語れませんが…)
Linさん、又、新たなデモシングルBOXのリリースが発表されましたね。
aladdindogsさん、ほんとですね。
この調子でアナログのデモ版がどんどん出ると、いいですね。
CDにすると音質が気になるんでしょうか??
CDでも出して欲しいです。
どうなんでしょうか?
多分音も良くないでしょうし、完成度も高くはないでしょう。デモですから当たり前ですが、CD一枚分ぐらい溜まったらCD化もあるかも知れませんね。
私は、まともなスタジオ録音の未発表の発掘を期待しています。
ヴィスコンティ様、お願い致します。
aladdindogsさん、デモ版はCD化希望で静観しておきます。
スタジオ録音の未発表は即購入します。
今度の40周年ピクチャーシングルは「Boys Keep Swinging (2017)/I Pray, Ole」両面とも既発音源なのでパスかなぁ。
今年のRSDのボウイ・リリースが発表されましたね。
発掘ライブは無く「PINUPS」ピクチャーLP、デッカの初期コンピ「The World Of David Bowie」、「JUST A GIGOLO」のブルーカラー・シングルの3枚。
ちょっと寂しいです。
aladdindogsさん、ありがとうございます。
私は今年のRSDはスルーしようと思っています。
「JUST A GIGOLO/ ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK」と「コンプリート・メインマン・レコーディングス1971-74」で十分かな…と。
(このところ仕事が忙しくてブログも休んでます。)
Linさん、今度は「Starman」「Moonage Daydream」「Hang On to Yourself」のデモテープが発見されましたね。
当時、ミック・ロンソンが友人にあげたテープが見つかり、オークションにかけられるそうです。例によって触りの部分だけ公開されましたが、音も良い素晴らしいデモです。
オリジナルテープは無いのでしょうか?
今回のデモシングル・シリーズとして出してほしいです。
aladdindogsさん、ありがとうございます。
こんなにデモが見つかるんなら、デモだけでアルバムが作れそうですね。
CDにもして欲しいです。ちょっとだけ期待してます。