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私がF1ベストシーンを選ぶとすれば、やはり1992年F1モナコGPです。
1992年は日本でもF1人気が最も高かった時期ではないでしょうか?
F1放送オープニング曲のT-SQUARE「TRUTH」が印象的でした。
参戦していた日本人ドライバーは鈴木亜久里さんと片山右京さんです。
F1中継の解説は古舘伊知郎さんの時代で、片山右京の「張り子の虎走法」とか、ユニークな解説が思い出されます。(1992年F1モナコGPの実況は三宅正治アナ)
1991年途中からデビューしたミハエル・シューマッハがはじめてF1フル参戦したのも1992年です。
1991〜1992年の状況:ハイテクマシンの登場とホンダF1活動休止
1991年まではエンジンの優劣が勝負を決していました。
1988年ターボエンジンRA168Eを搭載したマクラーレンMP4/4が圧倒的であったのもホンダエンジンが優れていたからです。
1991年はV12エンジン・ホンダRA121Eエンジンを搭載したマクラーレンMP/6を駆るアイルトン・セナの3度目の戴冠の年でもあります。
そして、この年を最後にF1の歴史は空力マシン、ハイテクF1へ流れていきました。
1991年ウイリアムズにエイドリアン・ニューウェイが加入し、空力に力をいれたマシンがFW14です。さらに1992年この空力マシンにセミオートマチックトランスミッション・トラクションコントロールシステム・無敵のアクティブサスペンション等を搭載したハイテクマシンがFW14B。
私が、F1マシンの名前ですぐに思い出すのはこの名車といえる「FW14B」と現在のマクラーレン・ホンダ「MP4-30」の2つだけです。
FW14Bはまだ鋭角的なフォルムを残していましたが、コンパクトで低いサイドポンツーンとハイノーズが際立っていました。
FW14Bの登場、エンジンマシンから空力・ハイテクマシンへの移行はホンダに1993年以降のF1活動休止を決断させてしまいました。
1992年開幕5連勝を達成したナイジェル・マンセル
1992年ウイリアムズのマンセルは開幕・南アフリカGPからメキシコ・ブラジル・スペイン・サンマリノGPまで5連勝を成し遂げていました。
対するマクラーレンのセナは前年の改良型であるマクラーレンMP4/6Bで開幕戦に3位表彰台をゲットしましたが、その後トラブルが続きます。
スペインGPで待望のニューマシン、セミオートマチックトランスミッションのMP4/7Aを投入しましたが、ウイリアムズに対抗することができません。
アイルトン・セナ3位で78周のモナコGP決勝へ挑む
ウイリアムズ・マンセル、パトレーゼに続く3位で決勝はスタート。
セナはスタートと同時にパトレーゼをパスします。
序盤ではマンセルに懸命についていく走りを見せています。
しかし、4周ごろからマンセルに引き離され、パトレーゼに追われ始めます。
ガソリンが軽くなり14周ごろにはパトレーゼを引き離したセナですが、マンセルがいつもの様にトップを快走。20周を超える頃にはセナに17秒近くのギャップを築いていました。
パトレーゼとシューマッハが3位争いをしているころ、単独2位を走っていたセナはマシンをスキッドさせ、67周ごろにはマンセルとの差は30秒近くになってしまいました。
残り7周マンセルはマシンにバイブレーションを感じピットへ
タイヤトラブルで(実際にはホイルナットの緩み)タイヤ交換を余儀なくされたナイジェル・マンセル。
31秒ほどのピットイン作業のタイムロスによって、71周目セナがトップに立ちます。
マンセルはセナの5秒ほど後方でコースに復帰。
1分21秒598というファステストラップタイムをたたき出しながら鬼神の追走。
残り4周ものアイルトン・セナ VS ナイジェル・マンセル、テール・トゥー・ノーズの戦い
フレッシュタイヤのマンセルは75周でセナに追いつきノーズが接触せんばかりのプレッシャーをかけます。
すべるマシンを押さえ込みながら、セナはオーバーテイクボタンも駆使して、追い抜きのスペースを与えず。
4周もの間、マンセルを抑えきりチェッカーをもぎ取りました。
ゴールしたのちセナのマシンからは白煙があがったように見えました。
マンセルもマシンから降りると疲れ果てた様子で、座り込んでしまいました。
マンセルはレース後のインタビューで「セナはフェアだった」と答えたといいます。
モナコ・マイスター:アイルトン・セナ
アイルトン・セナはこの結果を受けてモナコ通算5勝目・モナコ連続優勝4回を達成。モナコ・マイスターの地位を不動のものにしました。
このレースを放送であったとしても体験できたのですから、とても幸せです。
今では伝説となってしまった1992年F1モナコGPはF1最高の名勝負でした。
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