Photo by Marc Wathieu
デヴィッド・ボウイは前作「ジギー・スターダスト」でロック史に残る重要アルバムを作り上げ、グラム・ロックブームの立役者となるのですが、全英でトップヒットを獲得するのは本作「アラジン・セイン」まで待たなくてはなりませんでした。
ジギー、アメリカへ行く
このアルバム収録の10曲中6曲が「ジギー・スターダスト」のアメリカ・ツアー中に書かれたことから、このアルバムは「Ziggy goes to America」と呼ばれることもあります。
デヴィッド・ボウイはこのアメリカでの経験を反映し、新しいペルソナ「アラジン・セイン」を生み出します。
トレードマークの稲妻のメイクはエルヴィス・プレスリーの指輪(稲妻が掘られていた)をヒントにしていると言われていますが、実際にはメイクアップ・アーティストのピエール・ラローシュがパナソニックの炊飯器に付いていたマークを元にデザインを施しました。
アラジン・セイン:image by Amazon
(冒頭のイメージは実際のメイクとは色合いが異なります)
特筆すべきなのは、このアルバムから「マイク・ガーゾン」が加わったことです。
この後デヴィッド・ボウイの盟友として活動を続けています。
そして、このアルバムでデビッドボウイは初めて全英1位を獲得することも忘れてはいけませんね。
ジギー・スターダストからアラジン・セインへ
ジギー・スターダストが登場して、ロンドンのハマースミス・オデオン公演を最後に封印されるまでの間に、アラジン・セインは生まれています。
私には、1972年から1973年の内にジギーからアラジンへの経緯が、いまひとつはっきりしません。
そこで「CROSSBEAT Special Edition デヴィッド・ボウイ (シンコー・ミュージックMOOK)」と「デヴィッド・ボウイ コンプリート・ワークス(TOブックス)」を元に、この間のデヴィッド・ボウイの活動を年表にまとめてみました。(モット・ザ・フープルの記事等は追加しました。)
1971 | 12/17 | 4作目「Hunky Dory」発表(シングルの「Changes」のヒットも手伝って全英3位) |
1972 | 1/22 | 英メロディ・メイカー紙のインタビューで「自身はゲイである」と発言し騒動になる。 |
2/10 | 初の大規模なツアー「ジギー・スターダスト」ツアー開始。同年9月7日までイギリス国内をまわる。 | |
6/6 | 5作目「Zggiy Stardust」発表(全英5位) | |
9月 | モット・ザ・フープル「All the Young Dudes」発表 | |
9/22〜12/2 | オハイオ州クリーヴランドを皮切りに、初の全米ツアーを敢行。 | |
11月 | 英でシングル「The Jean Genie/Zggiy Stardust」を発表(最高2位) 米でシングル「The Jean Genie/Hang On To Yourself」を発表(最高71位) |
|
11/8 | ボウイがプロデュースを努めたルー・リードの「Transformer」発表 | |
1973 | 1月 | 米でシングル「Space Oddity/The Man Who Sold The World」が再リリース(最高15位) |
2月 | ニューヨークから「アラジン・セイン」ツアー開始 | |
2/7 | イギー・アンド・ザ・ストゥージズのアルバム「Raw Power」発表。 | |
4月 | 英でシングル「Drive-In Saturday/Round And Round」を発表(最高3位) | |
4/8〜20 | 初来日公演。東京・新宿厚生年金会館を皮切りに、名古屋、広島、神戸、大阪の5都市で9公演を行う。 | |
4/13 | 6作目「Aladdin Sane」発表(全英1位・全米17位) | |
7/3 | 5月から行っていたジギー凱旋ツアーの最終日(ロンドンのハマースミス・オデオン公演)、アンコールのMCで突然「ジギー引退宣言」がなされ、騒動になる。この時の模様を記録したのが83年に公開されたD.A.ペニーベイカー監督のドキュメンタリー映画「Ziggy Stardust And The Spiders From Mars: The Motion Picture」である。 | |
10/19 | 7作目「ピンナップス」発表。 |
参考:CROSSBEAT Special Edition デヴィッド・ボウイ (シンコー・ミュージックMOOK)
この間のデヴィッド・ボウイは2つのペルソナを生み出し、モット・ザ・フープルに「All the Young Dudes」を提供、ルー・リードの「Transformer」をプロデュース、「Raw Power」のミキシング等、アーティストとしてのパワーを見せつけています。
注目したいのは、日本公演中に「アラジン・セイン」が発表されていることです。
当時の状況は分かりませんが、大ニュースになったことでしょう。
私はまだ、海外のアーティストの曲に興味のある年ではありませんでした。
当時のライブを生で見ることが出来た世代がとてもうらやましいです。
年表では1973年2月からのツアーが「アラジン・セイン」ツアーとなっていますが、メイクと楽曲の違いだけだったのでしょうか?
最終的にジギー引退宣言によって、同時に「アラジン・セイン」も葬られてしまいますので、おそらく「ジギー・スターダスト」の狂気を反映したペルソナとして、分裂した人格の象徴がアラジン・セイン(A Lad Insane「狂気の若者」の掛詞)なのだと思います。
映画「ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダース・フロム・マーズ〜ザ・モーション・ピクチャー」 Ziggy Stardust And The Spiders From Mars: The Motion Picture
救いなのはこのジギー最終公演の映像をDVDで見ることが出来るということです。
D.A.ペニーベイカー監督のドキュメンタリー映画「ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダース・フロム・マーズ〜ザ・モーション・ピクチャー」がなければ、この重要な瞬間は想像するしかありませんでした。
今でも「Ziggy Stardust And The Spiders From Mars: The Motion Picture Soundtrack」はよく聴いています。
映像は時代を感じさせるものですが(ボウイもロンソンも若い)、セットリストが最高です。
ジギー・スターダストとアラジン・セインの曲だけでなく「Changes」「Space Oddity」「All The Young Dudes」も聴けます。
ここでも「Moonage Daydream」がいい。
演奏中に衣装を替えるのもびっくりです。
リンゼイ・ケンプ譲りのパントマイムも堂に入っています。
ジギーの引退宣言といいますが、実際にはあまりにもあっさり一言「バンドも最後」と言っているだけです。
観客はなんのことだか分からなかったのではないでしょうか?
そしてあまりにも感動的に「Rock ‘N’ Roll Suicide」で幕を閉じます。
www.bluelady.jp
アラジン・セイン30thアニバーサリー・エディション
30周年記念盤は未発表曲・レアトラックを収めたボーナスディスクが付いています。
ジギー・スターダスト [DVD]
ザ・スパイダース・フロム・マーズのパフォーマンスが感じられます。
by Amazon
コメント
やまりんさん、おはようございます。
待ってました「アラジンセイン」ですね。これも欧米風に言うなら「アラディンセイン」ですが。
日本盤が発売されたのは、ボウイが日本を去った後の5月25日でした。
私が初めて発売を心待ちしたボウイのニューアルバムでした。
私は、4月8日の日本初日の新宿厚生年金会館に行きました。
「時計仕掛けのオレンジ」のテーマ曲の「第9」が鳴り終わると、眩いストロボライトの点滅するなか、舞台下からボウイがせり上がりで登場し「ハング・オン・トゥ・ユアセルフ」が始まりました。
1曲目が終わると、舞台の左右から黒子が現れ、衣装の引抜です。もう、この時点でみな興奮状態でした。
「スペイス・オディティ」の時には、ミラーボールから発した光が会場を宇宙空間の様に演出します。
お馴染みの曲「スターマン」や「ジーン・ジニー」がやはり良かったですが、「月世界の白昼夢」と「円軌道の幅」でのミック・ロンソンのギターソロは圧巻でした。
「アラジン」からも、数曲演奏されましたが、ストーンズの「夜をぶっとばせ」以外は初めて聴いたので、「新曲かな」と言う感じでした。
42年経った今も、記憶に残っています。
ジギーツアーの後半に「アラジン」の曲が加わったのは、ダイアモンド・ドッグスツアーの後半にヤング・アメリカンズの曲が加わったのと似ていますね。
そして、イギリスツアーの途中で、いきなり「さよならスピーチ」をして、ジギーツアーは終わるのですが、バンドメンバーにもひと事も言ってなかったとの事でしたね。
残りのライブは全てキャンセルですから、人騒がせな人です。
当時は、「引退」?なんて勘違いされましたが、ジギーが終わりと言う事だったんですね。
サウンド+ヴィジョンの時も、今後過去の曲は二度とやらない、なんて言ってましたね。
aladdindogsさま
ありがとうございます。
やっぱり、実際に生で見た方は違いますね。
とてもうらやましいです。
他にもこの時期のエピソードがありましたら、よろしくお願いします。
そうですね、私も本や新聞で読んだんですけど、滞在中に歌舞伎を見に行ったとか、最終日の渋谷公会堂は、終盤客をステージに呼び寄せて大荒れした後、メンバーで逃げるように引き上げたとかですかね。(例の最後、ふんどし一丁になった時です。)
後、この時期のエピソードとしては、日本に来る前のアメリカ、サンタモニカライブのFM放送音源が長い間ブートの名盤となっていた事とか(最後はついにオフィシャルで出ましたね)
ジギーラストライブがフィルムとテープに収められ、テープの方は2枚組みのレコードとして発売されると発表されましたが、どちらも長らくお蔵入りとなってしまいました。
レコードは「Bowingout」とタイトルまで決まっていたんです。
のちに、ずっと後になって映画も「ジギー・スターダスト・モーションピクチャー」として、公開され、レコードも出ましたが、物凄く音がダビングされていました。
この頃のライブ盤は、スタジオで音をダビングするのが、常識でしたが、それでもこれはやり過ぎじゃないか、と言うレベルですよね。
ボウイの初めての公式ライブ盤の「デビッド・ライブ」のジャケットに「ノー・ダビング・ライブ」と書かれていた意味が、この時初めて納得出来ました。
aladdindogsさま
ありがとうございます。
ふんどしの件は全く知りませんでした。
そんなことがあったんですね。面白いです。
やまりんさん、こんにちは。
「ジギー」の巻か「ヤンアメ」の巻にするべきコメントですが、「ジギー」は完成まで何曲も差し替えをして統一感、完成度を高めたのに対し、「ヤンアメ」は曲の差し替えで反対に統一感を崩してしまいましたね。
何の事か、お分りかりですよね。
「ヤンアメ」は、既に完成していたのに、ジョン・レノンと再会し、会話の中から、「フェイム」が生まれ、ジョン参加のもと「フェイム」と「アクロス・ザ・ユニバース」の2曲が録音されました。
録音スタジオも違う、この2曲を入れた事でアルバムの統一感は大きく崩れてしまいました。
確かに「フェイム」はボウイ初の全米No.1ヒットシングルとなった強力なナンバーですが、ブルーアイド・ソウルのアルバムに「アクロス・ザ・ユニバース」は明らかに場違いです。
私は、この2曲はシングルのみで出しても良かった様に思います。
それぞれの曲を「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」「フー・キャン・ビー・ナウ」に差し替えて、アルバムを通して聞くとぐっと統一感が高まります。
ただ、B面がちょっとバラード曲が多くなってしまいますが、「アフター・トゥディ」と「ジョン・アイム・オンリー・ダンシング・アゲイン」を加えて、さらに曲順をバラして再構成して、統一感を出すのは難しいでしょうね。
この2曲もシングル向きですし。
まあ、いずれにしても、最初の姿と改編した姿とリリースされて、どちらの方が売れたかはわかりませんが。
aladdindogsさま
なるほど、そのような考え方もあるんですね。
「フェイム」と「アクロス・ザ・ユニバース」について好意的なコメントが多いので、気づきませんでした。
「アクロス・ザ・ユニバース」についてはかなり違和感がありましたが、「フェイム」はアルバムの看板になっているので、いいのかな? ぐらいに考えていました。
僕は「アクロス・ザ・ユニバース」の差し替えは大賛成です。「フェイム」はエンディングなので、少し毛色がちがってもよしとして、アルバムの話題性を確保するということで、いかがでしょうか?
いずれにしても、ヤング・アメリカンズのページを書くときに再度考えてみたいと思います。
あとで、aladdindogsさんの意見でプレイリスト作ってみますね。
貴重なご意見ありがとうございました。