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1984年のF1初参戦以来、アイルトン・セナはモナコGPで強さを発揮してきました。
そして、1989年から5連勝を成し遂げます。
きわめて難しいコースで、いかにセナといえども、この結果は何かに守られているとしか思えません。
1984年のトールマンでのモナコGPは普通のレースではあり得ないことが起こりました。
雨がセナに見方したのです。
いくらテクニックに優れたドライバーだったとしても、雨がなければ、あのドラマは生まれませんでした。
そして1992年もまた…
1987年5月31日 モナコGP(第4戦):優勝
マシン:ロータス99T(ホンダ)
チームメイト:中島悟
1985年からロータスに移ったセナは1987年、念願のホンダエンジンを搭載したマシンを手に入れます。チームメイトは中島悟となりました。
1987年は、第2戦:サンマリノGPで2位表彰台を獲得していました。
第4戦モナコGPは1番手:マンセル、2番手:セナ、3番手:ピケの順でスタート。
レースはマンセルがリードし、28周目にはセナに11秒の差を付けます。
しかし、30周目ターボトラブルでリタイア。セナがトップに躍り出て、最終ラップまでトップを守り切りモナコ初優勝を飾りました。
1988年5月15日 モナコGP(第3戦):66周目リタイア
マシン:マクラーレンMP4/4(ホンダ)
チームメイト:アラン・プロスト
1988年、セナはマクラーレンに移籍。ついに常勝マシンを手に入れることになります。
僚友はアラン・プロスト。当初、セナとプロストの仲は良好であったと言われています。
第1戦はプロスト、第2戦はセナの優勝で第3戦を迎えました。
第3戦モナコGPのセナは予選後のインタビューが有名になったように「意識の理解を超えて、限界を超えた走り」で圧倒的なスピードを見せ、予選をトップで通過します。
2番手のプロストに1.5秒もの差を付けていました。
スターティング・グリッドは、1番手:セナ、2番手:プロスト、3番手:ベルガーのオーダーです。
ベルガーがサン・デボーテでプロストをパスし、プロストをおさえるなか、セナはトップを独走します。
54周目再びプロストがベルガーを抜いた時点でセナとの差は46秒以上となっていました。
このまま、セナの優勝と誰もが思いましたが、トンネル前のバリアに激突。プロストの優勝という結果に終わりました。
セナは自責の念に涙を流したと言われています。
1989年5月7日 モナコGP(第3戦):優勝
マシン:マクラーレンMP4/5(ホンダ)
チームメイト:アラン・プロスト
前年初のチャンピオンを獲得したセナは引き続きプロストと戦うことになります。
第2戦サンマリノGPで優勝してのモナコGPとなりました。
予選は1番手:セナ、2番手:プロスト、3番手:マンセルという結果。
決勝はマクラーレン・ホンダのランデブー走行となります。
順調に見えた走行も、セナはレース後半1速と2速のギアを失います。
しかし、プロストは周回遅れに必要以上にブロックされたことと、ピケとチェザリスのアクシデントによって停車を余儀なくされ、セナに優勝を許してしまいました。
1990年5月27日 モナコGP(第4戦):優勝
マシン:マクラーレンMP4/5B(ホンダ)
チームメイト:ゲルハルト・ベルガー
前年、曰く付きのクラッシュで、チャンピオンをもぎ取ったプロストはフェラーリに移籍。セナのチームメイトはベルガーに変わります。
セナは初戦で優勝したものの、2戦はフェラーリのプロスト、3戦はウイリアムズのパトレーゼに優勝を奪われます。
そして、第4戦モナコの予選は1番手:セナ、2番手:プロスト、3番手ティレルのアレジとなりました。
1周目にアレジがプロストをパス。その隙を突いたベルガーがプロストに接触し、レースは2ヒートになります。
再スタート後、セナは他を寄せ付けず、優勝。プロストはバッテリートラブルでリタイアとなりました。
1991年5月12日 モナコGP(第4戦):優勝
マシン:マクラーレンMP4/6(ホンダ)
チームメイト:ゲルハルト・ベルガー
セナは第3戦まで連続優勝を成し遂げ、モナコでも56回目のポールポジションを奪っていました。1991年はここまで絶好調の年でした。
予選結果は1番手:セナ、2番手:モデナ(ティレル)、3番手:パトレーゼ。
セナは他を寄せ付けず、優勝。2番手・3番手のモデナとパトレーゼが激しく争いましたが、結局モデナはでリタイヤすることになります。
レース結果に影響を与えませんでしたが、スクリーンに最終ラップの文字が1周早くでるというアクシデントが起きています。
1992年5月30日 モナコGP(第6戦):優勝
マシン:マクラーレンMP4/7A(ホンダ)
チームメイト:ゲルハルト・ベルガー
1992年はウイリアムズ・ルノーのハイテクマシンFW14BがF1グランプリを席巻した年です。マンセルは開幕5連勝を成し遂げ、マクラーレン・ホンダはMP4/6BからMP4/7Aへマシンをスイッチしますが、太刀打ち出来ずにいました。
詳しくは以下のページをご覧下さい。
それでもアイルトンセナは予選でウイリアムズの2台に次ぐ3番手に付けていました。
スタートでパトレーゼを交わしたことがこのレースの運命を変えていきます。
セナはマンセルを猛追しますが、後半引き離されてしまいました。
しかし、モナコの勝利の女神はマンセルのマシンにいたずらをします。
残り、7周となってマンセルがタイヤにバイブレーションを感じピットインする中、セナがトップを奪い、すり切れたタイヤで、フレッシュタイヤを履いたマンセルを押さえ込みます。
この歴史に残るバトルを制してセナは優勝を成し遂げたのでした。
いかに素晴らしいテクニックと常人以上の精神力を持ったセナといえども、マンセルのアクシデントが起こらなければ勝つことは出来なかったレースでした。
1993年5月23日 モナコGP(第6戦):優勝
マシン:マクラーレンMP4/8(フォード)
チームメイト:マイケル・アンドレッティ
1993年、ホンダが撤退し、エンジンはフォードへ変わります。また、ベルガーはフェラーリへ。そして、最強マシンを擁するウイリアムズ・ルノーチームにはアラン・プロストが戻ってきたシーズンでした。
マシンでは前年の優位性は変わらず、セナは全く太刀打ち出来ないのではないかと思われましたが、非力なエンジンのマシンで第2戦(ブラジルGP)と第3戦(ヨーロッパGP)を制した姿は、最高のヒーローでした。
そして、5戦まででプロスト3勝、セナ2勝でモナコを迎えることになります。
スターティング・グリッドはプロスト、シューマッハー、セナのオーダー。
プロストはスタートをミスしフライングを取られ、10秒のストップ・アンド・ゴー・ペナルティーとなります。
レースはシューマッハーがリードし進行します。しかし、32周目にスローダウン、ハイドロリック・トラブルでリタイアしてしまいます。
このチャンスを活かし、セナが優勝をもぎとりました。
こうしてセナはモナコGPにおいて、6度目・5年連続優勝を成し遂げたのでした。
モナコマイスター:アイルトン・セナのすごさ
アイルトン・セナはこのモナコを得意とし、独自のテクニックを持っていました。
その内容は、DVD「アイルトン・セナ 追憶の英雄 03 モナコに愛された英雄」において、様々な関係者のインタビューでひもとかれます。
プール周りのコーナーをストレートのように走り抜けたとか、タバコ・コーナーで誰よりも遅くブレーキングしたとか、モナコでは誰よりもアクセルを踏む回数が多かったというような話を聞くとアイルトン・セナに匹敵するドライバーは2度と表れないだろうという確信が生まれてきます。
しかし、ここまでの結果には、テクニック以上の何かがあったように見えます。それ故に、34歳という若さで、伝説となってしまったのではないかとも思えてくるのです。
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