書籍の電子化・自炊のはじめ方
【PR】本ページはプロモーションが含まれています。

1990年、プロストとの戦いを制し2度目のワールドチャンピオンを獲得したアイルトン・セナ。しかし、その決定の瞬間は因縁の鈴鹿としてF1の歴史に語り継がれることになる。

アイルトン・セナの世界

senna
Photo by JJ Adamson 

1990年、アラン・プロストはカーナンバー1をみやげにフェラーリに移籍します。
アイルトン・セナの僚友はゲルハルト・ベルガーに変わりました。
マクラーレンのマシンは1989年の改良型、MP4/5Bでチャンピオンシップを戦います。

セナとベルガーはプロストとは対照的に無二の親友となりました。
セナは解放された気持ちで1990年のチャンピオンシップに挑むことになります。

しかし、1989年、因縁の日本グランプリ・鈴鹿でチャンピオンシップを奪われたと感じたセナは、そのことを決して忘れませんでした。

スポンサーリンク

第1戦:アメリカGP(フェニックス)3/11

このレースはティレルのジャン・アレジが才能を見せつけたレースです。
4番手からスタートしたアレジは一気にトップを奪い激走します。
セナは5番手からスタート。

ベルガー、プロストがリタイアしトップ争いはアレジとセナ。
抜きつ抜かれつの激しいバトルを展開します。
セナがトップに立ってからもバトルはしばらく続きました。

セナはレース後のインタビューでアレジとそのフェアなバトルを賞賛しています。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ジャン・アレジ(ティレル・フォード)
3位:ティエリー・ブーツェン(ウイリアムズ・ルノー)

アラン・プロスト:リタイア(オイル漏れ)

アイルトン・セナ:9ポイント

スポンサーリンク

第2戦:ブラジルGP(インテルラゴス)3/25

母国でセナの優勝を妨げたのは、ティレルの中嶋悟でした。
周回遅れの中島をセナが抜きにかかった時、中島はミスを犯しマシンをすべらせてしまいます。そして、セナのマシンのノーズをはじき飛ばすことになってしまいました。

ノーズ交換にピットに入ったセナは結局3位。
トップはプロストに奪われてしまいました。

1位:アラン・プロスト(フェラーリ)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)

アイルトン・セナ:13ポイント
アラン・プロスト:9ポイント

スポンサーリンク

第3戦:サンマリノGP(イモラ)5/13

ポールからスタートしたセナでしたが、ホイールリムのトラブルでリタイアすることになります。4周目のことでした。

1位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)

4位:アラン・プロスト、アイルトン・セナ:リタイア(ホイールリム)

アイルトン・セナ:13ポイント
アラン・プロスト:12ポイント

第4戦:モナコGP(モンテカルロ)5/27

レースはミラボーでのプロストとベルガーの接触によって赤旗、再スタートになります。
再スタート後、ポールのセナはそのポジションを守り切り、得意のモナコで勝利を獲得しました。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ジャン・アレジ(ティレル・フォード)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)

アラン・プロスト:リタイア(電気系)

アイルトン・セナ:22ポイント
アラン・プロスト:12ポイント

第5戦:カナダGP(モントリオール)6/10

ウエットからドライにコンディションが変わる難しいレース。
しかし、ウェットを得意とするセナは危なげなくポールスタートからトップを維持し、優勝を逃しませんでした。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
3位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)

5位:アラン・プロスト

アイルトン・セナ:31ポイント
アラン・プロスト:14ポイント

第6戦:メキシコGP(メキシコシティ)6/24

セナは100戦目のメモリアルレースです。しかし、レースはお祝いムードというわけには行きませんでした。
スローパンクチャーに見舞われ63周を走ったところでタイヤがバースト。リタイアすることになってしまいます。

1位:アラン・プロスト(フェラーリ)
2位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)

アイルトン・セナ:リタイア(パンク)

アイルトン・セナ:31ポイント
アラン・プロスト:23ポイント

第7戦:フランスGP(ポール・リカール)7/8

アイルトン・セナはピットストップの際、左リアタイヤの交換に手間取ります。
トップを走っていながら、16秒もかかったピットストップによって、レースを失うことになってしまいました。

ピットストップ後、8位から3位まで巻き返しています。

1位:アラン・プロスト(フェラーリ)
2位:イワン・カペリ(レイトンハウス・ジャッド)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)

アイルトン・セナ:35ポイント
アラン・プロスト:32ポイント

第8戦:イギリスGP(シルバーストーン)7/15

ポールからのスタートは地元のナイジェル・マンセル。2番手がセナ。
シャープなスタートを見せたセナがトップを奪って、マンセルの猛追をしのぐ展開。
シケインでバトルを繰り返し、ついにマンセルは12周を費やしトップに立ちます。
セナはマンセルとの激しいバトルの末、コースアウトしています。

トップを走るマンセルでしたが、56周目ギアボックストラブルによって残念ながらリタイアとなってしまいました。

1位:アラン・プロスト(フェラーリ)
2位:ティエリー・ブーツェン(ウイリアムズ・ルノー)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)

アイルトン・セナ:39ポイント
アラン・プロスト:41ポイント

第9戦:ドイツGP(ホッケンハイム)7/29

セナはタイヤ交換のピットストップでトップの座をナニーニに奪われます。
しかし、タイヤ交換をしていないナニーニを冷静に追撃しパス。
そのまま優勝を果たします。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)

4位:アラン・プロスト

アイルトン・セナ:48ポイント
アラン・プロスト:44ポイント

第10戦:ハンガリーGP(ハンガロリンク)8/12

予選は好調のウイリアムズ・ルノーによってワン・ツー体制となります。
4位からスタートしたセナは3位争いでナニーニをはじき飛ばすバトルをみせ、ウイリアムズのブーツェンを追走しますが届かず、2位で終わります。

1位:ティエリー・ブーツェン(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:ネルソン・ピケ(ベネトン)

アラン・プロスト:リタイア(ギアボックス)

アイルトン・セナ:54ポイント
アラン・プロスト:44ポイント

第11戦:ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)8/26

ベルギーは荒れたレースとなります。
クラッシュが続きスタートのやり直しを繰り返し、3度目のスタートでレースが始まることに。
プロストの追走も届かず、セナはトップを守り、優勝しました。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:アラン・プロスト(フェラーリ)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)

アイルトン・セナ:63ポイント
アラン・プロスト:50ポイント

第12戦:イタリアGP(モンツァ)9/9

フェラーリの地元でポールはセナ、2番手はプロストという対決。
スタート後、ウォリックのマシンがひっくり返るクラッシュ。
再スタートとなります。

プロストは2度目のスタートでベルガーに抜かれるものの、抜き返しセナを追走。
しかし、セナは逃げ切り優勝をもぎ取ります。

この一戦で付記しておきたいのは、セナとプロストが1989年の対立に対する和解をしたということです。しかし、その和解も長続きはしませんでした。

1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:アラン・プロスト(フェラーリ)
3位:アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)

アイルトン・セナ:72ポイント
アラン・プロスト:56ポイント

第13戦:ポルトガルGP(エストリル)9/23

セナ初優勝の地、エストリル。
マクラーレン対フェラーリではフェラーリのパワーが勝っていると感じられた予選。
決勝グリッドはフロントロウにフェラーリのマンセル、プロストが並びます。

スタートでマンセルがプロストを牽制したためにマクラーレンはワンツー体制を築くことに成功します。。
しかし、50周目マンセルはセナのスリップから抜け出し、トップを奪うとそのままゴール。
優勝はマンセルの手に渡りました。

1位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:アラン・プロスト(フェラーリ)

アイルトン・セナ:78ポイント
アラン・プロスト:60ポイント

第14戦:スペインGP(ヘレス)9/30

プロストはチャンピオンとなる可能性を残して絶対負けられないスペイン。
激しく競り合い、セナのピットストップのタイムラグを利用してトップに立ちます。

追い上げを見せるかに見えたセナでしたが、ラジエーターの損傷により53周でリタイアしてしまいました。

これでポイントは9ポイント差まで狭まることになります。

1位:アラン・プロスト(フェラーリ)
2位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)
3位:アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)

アイルトン・セナ:リタイア(ラジエーター)

アイルトン・セナ:78ポイント
アラン・プロスト:69ポイント

第15戦:日本GP(鈴鹿)10/21

アイルトン・セナがポール、アロン・プロストが2番手につけた決戦をむかえた日本グランプリ。1989年のシケインの競り合いが脳裏をよぎります。

決勝前からセナはコースがきれいな左側にポールを置くべきだとアピールしていましたが、聞き入れられませんでした。2位のプロストの方がトラクションの効く有利な左側からスタートすることになります。

セナは決勝前から1コーナーで絶対譲らないことを決意していました。
ノーズをインに差し込んだセナはスピードを緩めず、プロストとセナはクラッシュし、2台のマシンはダートに飛び出し停止してしまいます。
この瞬間、セナの2度目のチャンピオンが決したのでした(※)。

セナは1年後の鈴鹿の記者会見で、このクラッシュが故意であったことを告白しています。
それほどにチャンピオンシップ獲得への決意は強かったのでした。
しかし、この一件は1989年のセナのシケイン不通過、結果剥奪の裁定がなければ起こらなかったかもしれません。

イタリア・モンツァで和解したセナとプロストでしたが、その和解も数週間で水の泡と消えてしまったのでした。

1位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
2位:ロベルト・モレノ(ベネトン・フォード)
3位:鈴木亜久里(ローラ・ランボルギーニ)

アイルトン・セナ、アラン・プロスト:両者接触によるリタイア

アイルトン・セナ:78ポイント
アラン・プロスト:69ポイント

※チャンピオンシップの有効ポイントはベスト11戦のトータルで争われる規定のため。

第16戦:オーストラリアGP(アデレード)11/4

ポール・ポジションでスタートしたセナは62周目までトップを維持します。
しかし、ブレーキバランスの狂いとギアトラブルのためクラッシュ。
最終戦はゴールラインを通過することが出来ませんでした。

1位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
2位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)
3位:アラン・プロスト(フェラーリ)

アイルトン・セナ:リタイア(アクシデント)

アイルトン・セナ:78ポイント
アラン・プロスト:71(2)ポイント
※プロストは12戦のポイントの内、カナダGPでの2ポイントを除外した結果。

まとめ

1990年、セナとプロストは別のチームで戦います。
1989年のようなチーム内での確執よりは健全な形のバトルとなりました。

マシン性能も前半ではマクラーレン、後半ではフェラーリにアドバンテージがあったようです。そのため、白熱したチャンピオンシップ争いとなりました。

この年のチャンピオンシップを決定づけたのはセナの執念だったかもしれません。

1989年・1990年、鈴鹿での出来事は、その後も「因縁のレース」として語り継がれることになるのでした。

© bluelady.jp


コメント

タイトルとURLをコピーしました