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1991年のF1はウイリアムズ・ルノーが躍進した年です。マシンはFW14。
ドライバーは1990年までのティエリー・ブーツェン、リカルド・パトレーゼのラインナップから、ナイジェル・マンセル、リカルド・パトレーゼのコンビに変わりました。
ティエリー・ブーツェンはリジェに移籍しています。
フェラーリも予選では最速と恐れられていましたが、マシン性能が今一歩及ばなかったようです。マンセルが抜けた後にはジャン・アレジが加入しています。
マクラーレン・ホンダは1990年同様、アイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーのコンビです。マシンはMP4/6。エンジンはV12エンジン・RA121Eを搭載していました。
レギュレーション面の変更では、それまでの11戦ポイントシステムが改められ、全戦のポイントでチャンピオンシップが争われ、勝者には10ポイントが与えられることになりました(前年まで9ポイント)。
- 第1戦:アメリカGP(フェニックス)3/10
- 第2戦:ブラジルGP(インテルラゴス)3/24
- 第3戦:サンマリノGP(イモラ)4/28
- 第4戦:モナコGP(モンテカルロ)5/12
- 第5戦:カナダGP(モントリオール)6/2
- 第6戦:メキシコGP(メキシコシティ)6/16
- 第7戦:フランスGP(マニクール)7/7
- 第8戦:イギリスGP(シルバーストーン)7/14
- 第9戦:ドイツGP(ホッケンハイム)7/28
- 第10戦:ハンガリーGP(ハンガロリンク)8/11
- 第11戦:ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)8/25
- 第12戦:イタリアGP(モンツァ)9/8
- 第13戦:ポルトガルGP(エストリル)9/22
- 第14戦:スペインGP(カタルニア)9/29
- 第15戦:日本GP(鈴鹿)10/20
- 第16戦:オーストラリアGP(アデレード)11/3
- まとめ
第1戦:アメリカGP(フェニックス)3/10
戦前の予想ではフェラーリの強さが強調されていましたが、予選が終わってみるとセナにかなう相手はいませんでした。
プロストは2番手に甘んじます。
セナは得意の市街地サーキットで圧勝しています。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:アラン・プロスト(フェラーリ)
3位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー):リタイア(ギアボックス)
アイルトン・セナ:10ポイント
第2戦:ブラジルGP(インテルラゴス)3/24
セナ母国の初優勝で伝説となった一戦です。
セナがポール、2番手・3番手にウイリアムズ・ルノーの2台が続きます。
スタートを決めたセナはマンセルに先行します。
タイヤ交換のためピットインしたマンセルは最後尾に落ちるも、再び2位に浮上。
しかし、さらにパンクチャーに見舞われ、マンセルの優勝はなくなってしまいました。
アイルトン・セナもギア・ボックストラブルに見舞われます。
まず4速が壊れ、次に3速・5速も失ってしまいました。
後続のリカルド・パトレーゼとは40秒ものギャップがあったため、アイルトン・セナは6速のみで周回を重ねます。
セナが抱えていたのはギアボックスのトラブルだけでなく、しめすぎたシートベルトも問題でした。シートベルトが上半身の血流を阻害し、痛みをも伴っていたのです。
そんな状態で、アイルトン・セナは母国優勝を果たします。
ゴール後、セナは歓喜の絶叫をあげていました。
レース後は身体の痛みのためコクピットから自力で出ることもかなわぬ状況でした。
立っているのもやっとだったセナは母国の観衆を前にポディウムに立ちます。
セナは渡されたトロフィーを片腕で差し上げ歓喜に涙したのでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー):リタイア(ギアボックス)
アイルトン・セナ:20ポイント
第3戦:サンマリノGP(イモラ)4/28
雨のサンマリノでは前代未聞の出来事が起きます。
フォーメーション・ラップでプロストがスピンしコースアウト、そのままリタイアしてしまいます。
スタートはパトレーゼが飛び出しセナに先行します。
マンセルは不運にもオープニングラップでギアボックスの変調を来し、リタイアするはめに陥ります。
勝負はセナ対パトレーゼ。
雨がやみ、パトレーゼをパスしたセナが優勝をもぎ取っています。
終わってみれば14台がリタイアするという荒れたレースでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:J.J.レート(ダラーラ・ジャッド)
ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー):リタイア(ギアボックス)
アイルトン・セナ:30ポイント
第4戦:モナコGP(モンテカルロ)5/12
モナコでは圧倒的な強さを誇るセナはポール・トゥ・ウイン。
モナコ・マイスターとしての力を見せつけています。
ナイジェル・マンセルはプロストをベイ・エリアでパスし2位をつかみ取ります。
第4戦にして初ポイントを上げています。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
アイルトン・セナ:40ポイント
ナイジェル・マンセル:6ポイント
第5戦:カナダGP(モントリオール)6/2
カナダの予選ではウイリアムズ・ルノーの2台が圧倒的な速さを見せつけ、フロント・ロウに並びます。
スタートでマンセルはパトレーゼを抑えて快走。
しかし、マンセルはギアボックスにトラブルを抱え、6位入賞扱い。
セナはオルタネーターにトラブルが出て、25周リタイアとなっています。
1位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
2位:ステファノ・モデナ(ティレル・ホンダ)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
6位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー):リタイア(ギアボックス)
アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ):リタイア(オルタネーター)
アイルトン・セナ:40ポイント
ナイジェル・マンセル:7ポイント
第6戦:メキシコGP(メキシコシティ)6/16
カナダに続いてウイリアムズ・ルノーが強力なパフォーマンスを見せ、再びフロントロウを独占。
リカルド・パトレーゼはスタートに失敗して4位に落ち込みますが、マシンの強さを味方にナイジェル・マンセルとの一騎打ちに持ち込みます。
パトレーゼはマンセルを仕留め、優勝を果たしたのでした。
1位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
アイルトン・セナ:44ポイント
ナイジェル・マンセル:13ポイント
第7戦:フランスGP(マニクール)7/7
フロント・ロウにプロストとマンセルがならび、スタート。
一時プロストがトップを走りますが、マンセルに抜き返され2位へ。
セナはウイリアムズとフェラーリに水をあけられ3位となっています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アラン・プロスト(フェラーリ)
3位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
アイルトン・セナ:48ポイント
ナイジェル・マンセル:23ポイント
第8戦:イギリスGP(シルバーストーン)7/14
1991年のイギリスGPはマンセルのメモリアルレースとなります。
マンセルは地元イギリスで初優勝を果たしたのでした。
スタートでセナに先行を許しましたが、FW14の圧倒的な速さでトップを奪うとそのまま優勝してしまいました。
セナは最終ラップでガス欠となり、優勝したマンセルのマシンに腰掛けてピットまで運んでもらっています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:アラン・プロスト(フェラーリ)
4位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ):リタイア(ガス欠)
アイルトン・セナ:51ポイント
ナイジェル・マンセル:33ポイント
第9戦:ドイツGP(ホッケンハイム)7/28
第5戦カナダから苦しい戦いを続けるセナ。
ここでもウイリアムズ・ルノーの強さは変わらず、セナのフラストレーションは頂点に達していました。
シケインでのプロストとのバトルでリタイアに追い込み、またしてもプロストの怒りを買っています。
健闘したセナでしたが、またしても最終ラップのガス欠でリタイアを喫しています。
マンセルはセナとプロストの戦争をよそに3連勝をとげています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
7位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ):リタイア(ガス欠)
アイルトン・セナ:51ポイント
ナイジェル・マンセル:43ポイント
第10戦:ハンガリーGP(ハンガロリンク)8/11
前線から再燃したセナ・プロのバトルですが、メディアを前に二人は収拾を宣言しています。
レースに集中したセナは予選でポールを獲得。
スタートから逃げ切りモナコ以来の勝利をあげています。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
アイルトン・セナ:61ポイント
ナイジェル・マンセル:49ポイント
第11戦:ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)8/25
1991年、ここベルギーGPでジョーダンからミハエル・シューマッハがデビューを果たしました。
しかし、1周も出来ずクラッチトラブルによってリタイアしています。
レースはセナとマンセルの戦いとなります。
直接的なものというよりはピットワークにより順位が変動、マンセルが優位に立ちます。
マンセルが逃げ切るかに思われた22周目、電気系のトラブルでリタイアを余儀なくされました。
トップ争いはセナ対アレジに変わりますが、アレジのエンジントラブルによるリタイアで、セナがトップを奪い優勝をもぎ取りました。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
3位:ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)
ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー):リタイア(電気系)
アイルトン・セナ:71ポイント
ナイジェル・マンセル:49ポイント
第12戦:イタリアGP(モンツァ)9/8
ハンガリー、ベルギーでは優勝したセナでしたが、マシン性能の遅れはまだ取り返せてはいませんでした。
高速サーキットのモンツァではウイリアムズに分があり、マンセルにトップを許しています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:アラン・プロスト(フェラーリ)
アイルトン・セナ:77ポイント
ナイジェル・マンセル:59ポイント
第13戦:ポルトガルGP(エストリル)9/22
セナはポルトガルで、ウイリアムズのピットワークのミスに助けられることになります。
マンセルのタイヤ交換でナットを締めきれなかったため、ピットから出た直後に右リアタイヤが外れるというアクシデントが起こってしまいました。
慌てたウイリアムズのクルーはピット外で作業を続行したため、マンセルは失格となっています。
1位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:ジャン・アレジ(フェラーリ)
ナイジェル・マンセル:リタイア(ピット作業区域外のタイヤ交換)
アイルトン・セナ:83ポイント
ナイジェル・マンセル:59ポイント
第14戦:スペインGP(カタルニア)9/29
マシンはウイリアムズが一歩優位にあったものの、チャンピオンシップではマンセルは絶対優勝が必要なところまで追い込まれていました。
その状況でセナとマンセルは、気迫溢れるトレート全開バトルを見せています。
イン側のマンセルがセナをパスし勝負は決します。
しかし、スピードは両者互角、ポジション取りによってどちらが勝つか分からない緊迫の場面でした。
後に小雨になり、セナには珍しくスピンを喫します。
しかし、諦めず5位でゴールしています。
1位:ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)
2位:アラン・プロスト(フェラーリ)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
5位:アイルトン・セナ
アイルトン・セナ:85ポイント
ナイジェル・マンセル:69ポイント
第15戦:日本GP(鈴鹿)10/20
決着はこの年も日本GPでつけられることになります。
フロントロウは2台のマクラーレン・ホンダ。
スタートはベルガーが前に出ます。
チャンピオンシップのために負けられないマンセルはセナを追撃。
しかし、近づきすぎたためか9周目、1コーナーでダートに飛び出しリタイアしてしまいました。
その瞬間セナの3度目のチャンピオンが決したのでした。
チャンピオンが決まったレースでセナは優勝をベルガーに譲っています。
1位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
2位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
3位:リカルド・パトレーゼ(ウイリアムズ・ルノー)
ナイジェル・マンセル:リタイア(ブレーキ)
アイルトン・セナ:91ポイント
ナイジェル・マンセル:69ポイント
第16戦:オーストラリアGP(アデレード)11/3
最終戦オーストラリアGPは雨の中のレースとなります。
セナはトップを走っていましたが、6台もの車がアクシデントに見舞われ、レースは14周でストップされました。
結果、ハーフポイントが与えられ、コンストラクターズ選手権も14ポイント差でマクラーレン・ホンダが手にすることになったのでした。
1位:アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
2位:ナイジェル・マンセル(フェラーリ)
3位:ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)
アイルトン・セナ:96ポイント
ナイジェル・マンセル:72ポイント
まとめ
アイルトン・セナは開幕4連勝を成し遂げていますが、マクラーレンMP4/6の性能というよりは、ウイリアムズ・ルノーFW14の信頼性不足による結果でした。
FW14の開発が進んだグランプリ中盤からはウイリアムズの先行を許す展開が多くなります。マンセルも母国を含めた3戦連続勝利を飾っています。
しかし、前半の取りこぼしが大きく響きセナにワールド・チャンピオンをさらわれる結果に終わっています。
ウイリアムズの決定的な躍進は翌年1992年、ハイテクマシンFW14Bによって成し遂げられたのでした。
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