デヴィッド・ボウイのファンになってまもなく、中古CDショップで買ったのは「SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969」というアルバムでした。
「アワーズ」を聴いたばかりの私にとって、このCDはとても聴けたものではありませんでした。
ジャケットには日本著作協会のシールが貼ってありますので、海賊版のたぐいではありません。正規のルートで発売されたものと思われます。
その時は、デヴィッド・ボウイにもこんな時代があったのか…と認識するに留まったのですが、このCDはデヴィッド・ボウイのとても貴重な記録だったのです。
※このページではマーキュリー/フィリップスからの再デビューアルバム「David Bowie」をデラムのものと区別するために「スペイス・オディティ」と記しています。
ベッケナム・テープ(BECKENHAM TAPE)
1969年4月、デヴィッド・ボウイは友人ジョン・ハッチンソンとともにマーキュリー・レコードに売り込むためのデモ・テープを録音しています。
それがベッケナム・テープです。
この時期はデラム期から「スペイス・オディティ」発売(1969年11月)までの準備期間で、恋人のヘルミオーネ・ファージンゲールとジョン・ハッチンソンと共にザ・フェザーズ(THE FEATHERS)として活動していました。
デラムのアルバム「David Bowie」から「スペイス・オディティ」がいきなり変貌を遂げたように聴けたのは、実はこの時期の活動が大きく影響しています。
ボウイはデラムの後期からチベット仏教に熱を上げたりしていましたが、その後のリンゼイ・ケンプへの師事やフェザーズでの活動はアーティストとしての核を作っていきました。
その変貌の中間点としての音楽性がベッケナム・テープを聴けば分かります。
どちらかというとフォーク調の曲が多く、「サイモンとガーファンクル」のようなサウンドです。
日本で言うと「かぐや姫」のような感じでしょうか?
「22歳の別れ」のような曲を想像していただくとピッタリきます。
SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969(BLACK PANTHER)
冒頭でお話ししたように、私は偶然「SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969(BLACK PANTHERレーベル)」というCDを手に入れるのですが、これこそベッケナム・テープをCD化したものでした。
アルバム・リーフレットの中面には望月星一さんの日本語ライナーが印刷されています。
このCDがどういう経緯で発表されたのか分かりませんが、「スペイス・オディティ」のメイキングとも言える内容で、しかもデヴィッド・ボウイのグループ・フォークサウンドを記録したものとして貴重な音源となっています。
構成曲は以下。
SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969
- Space Oddity
- I’m Not Quite (Letter To Hermione)
- Janine
- An Occasional Dream
- When I’m Five
- Love Song
- Ching-A-Ling
- Life Is A Circus
- Conversation Piece
実はベッケナム・テープは以下のような順序で録音された10曲構成です。
BECKENHAM TAPE
- Space Oddity
- Janine
- An Occasional Dream
- Conversation Piece
- Ching-A-Ling
- I’m Not Quite (Letter To Hermione)
- Love Song
- When I’m Five
- Life Is A Circus
- Lover To The Dawn
「SUSSEX UNIVERSITY LIVE 1969」には最後の「Lover To The Dawn」が入っていません。
これは、音源のクオリティーがCD化に耐えられなかったものと思います。
「Lover To The Dawn」は「Cygnet Committee」の原曲で、CDに収録されていればさらに価値の高いものになったと思うと残念です。
……
デヴィッド・ボウイは、このベッケナム・テープを収録した後、ヘルミオーネとの別れを経てトニー・ヴィスコンティらと出会うことになります。
このような経緯があったからこそ、世界へ羽ばたく足がかりとなる「スペイス・オディティ」が生まれたのでした。
デラムの「デヴィッド・ボウイ」から「スペイス・オディティ」へは、突然変異だったわけではないのです。
もし、ベッケナム・テープの音源を入手する機会があれば是非聴いてみて下さい。
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