photo by Franklin Heijnen
デヴィッド・ボウイはトニー・ヴィスコンティのプロデュースによるアルバム「デビッド・ボウイ」(後のスペイス・オディティ)をリリースする前、数々のバンドを結成しては解散するという、下積み時代を過ごしています。
最初のバンド結成から、アルバム「スペイス・オディティ」を発表するまで5年という歳月が必要でした。
この頃のアルバムデータは先行記事で紹介していますので、合わせてご覧下さい。
ソロデビューまでのバンド時代
1964年7月、デヴィッドはデイヴィー・ジョーンズ&キング・ビーズとして「リザ・ジェーン」でシングルデビューします。
その後、「マニッシュ・ボーイズ」を結成。
1965年11月、モンキーズのメンバーに同姓同名のアーティストがいるのを知り、デヴィッド・ボウイと改名。
「デヴィッド・ボウイ・ウィズ・ロウワー・サード」、「デヴィッド・ボウイ&バズ」というバンドを結成します。
この頃の曲は「Early On(1964-1966)」で聞くことが出来ます。
私はのちのアルバム「David Bowie」よりも「Early On(1964-1966)」の方を好んで聞いておりました。
シンプルなロックで若さを感じますが、好感が持てる作品だと思います。
「リザ・ジェーン」は50周年ベストアルバム「ナッシング・ハズ・チェンジド~オールタイム・グレイテストヒッツ <デラックス・エディション>」の最後の曲になっています。
Early on (1964-1966) image by Amazon
1966年、売れること無くバンド活動を終了させたボウイはソロ活動を開始
結局、複数結成したバンドは全て売れず、パイ・レーベルでソロとして活動を開始します。
数枚のシングルを発表後、パイとの契約は1年で終了。デラム・レコードへ移籍することになりました。
パイでの楽曲は「I Dig Everything: The1966 Pye Singles」で発表されています。
I Dig Everything: 1966 Pye Singles image by Amazon
1967年:デラム・レーベルでのソロアルバム発表後、トニー・ヴィスコンティのプロデュースによる「デヴィッド・ボウイ」発表まで2年
1966年デラム・レーベルとソロ契約を結んだボウイは数枚のシングルの後、アルバム「デビッド・ボウイ」を発表しましたが話題に上ることもありませんでした。
その苦節の時代に舞踏家リンゼイ・ケンプに師事しパントマイムを学んでいます。(1968年1月〜3月)
1969年、トニー・ヴィスコンティのプロデュースによって再デビューアルバム「David Bowie」を発表。後にこのアルバムは「スペイス・オディティ」と名称を変えることになります。
同年、アポロ11号が月面着陸を果たし、そのテレビ番組で頻繁に「スペイス・オディティ」が使用され、デビッド・ボウイは知名度を得るにことになりました。
1964年から5年でやっとつかんだチャンスでした。
デヴィッド・ボウイのバイオグラフィーは以下で上手くまとめてありますので、そちらもご参照下さい。
参照 「魅せられし変容の軌跡を辿る」STRANGE FASCINATION
参照 「デヴィッド・ボウイ」sonymusic.co.jp公式サイト
© bluelady.jp
www.bluelady.jp – Recommended
※Amazonにリンクします。
コメント