photo by Mary McCoy
デヴィッド・ボウイの1980年代はアルバム「レッツ・ダンス」によって、商業的に最も成功を収めた時期である。
しかし、続く2枚のアルバムが評価されず、その成功を地に落とすことになってしまった。
デヴィッド・ボウイ=レッツ・ダンスと勘違いしているファンも居るかもしれないという事実は悲しいことである。
ナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた意欲作「レッツ・ダンス」(1983)
80年代と言えばMTV。日本では小林克也の「ベストヒットUSA」のようなテレビ番組が海外のロックをPRしていた時代。
そうしたテレビ番組が音楽のヒットを左右していたと言っても過言では無いと思います。
そうした時代にデヴィッド・ボウイの記憶で鮮明なのは「チャイナ・ガール」「ビギナーズ」「アンダーグラウンド」「ダンシング・イン・ザ・ストリート」といった楽曲でした。
常にヒット曲をとばし、陽気なロックアーティスト、それが彼でした。
僕にとって「hours」に出会う前のデヴィッド・ボウイとはそうしたアーティストだったのです。
既に「レッツ・ダンス」をものにしたデヴィッド・ボウイはロック界のスターだったのです。
当時の「ベストヒットUSA」で記憶に残っているのは以下のようなアーティストです。
- マイケル・ジャクソン:「ビート・イット(Beat It)」(1982)
- サバイバー:「アイ・オブ・ザ・タイガー(Eye Of The Tiger)」(1982)
- ユーリズミックス:「スイート・ドリームズ(Sweet Dreams)」(1983)
- シンディー・ローパー:「マネー・チェンジズ・エヴリシング(Money Changes Everything)」
- アーハ:「テイク・オン・ミー(Take On Me)」(1984)
- デュラン・デュラン:「リフレックス(The Reflex)」(1984)
- デュラン・デュラン:「ワイルド・ボーイズ(The Wild Boys)」(1984)
- マドンナ:「ライク・ア・ヴァージン(Like A Virgin)」(1984)
- ハート:「ネバー(Never)」(1984)
- スティング:「ラシアンズ(Russians)」(1985)
- ファルコ:「ロック・ミー・アマデウス(Rock Me Amadeus)」(1985)
- ジェネシス:「インビジブル・タッチ(Invisible Touch)」(1986)
- バングルス:「マニック・マンデー(Manic Monday)」(1986)
- ボン・ジョビ:「リヴィン・オン・ア・プレイヤー(Livin’ On A Prayer)」(1986)
- ジョージ・ハリスン:「セット・オン・ユー(Got My Mind Set on You)」(1987)
かなりホットでライトな楽曲が並びますね。
そんな時代にマッチしたのが「レッツ・ダンス」だったのです。
プロデューサーはシックのナイル・ロジャース。
レッツダンス以外にも、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」やデュラン・デュランの「ワイルド・ボーイズ」をプロデュースして名プロデューサーの名声を得ました。
僕の好きなデュラン・デュランの「ノトーリアス(Notorious)」もナイル・ロジャースのプロデュースです。
ダンス音楽では随一のプロデューサーですね。
それまで、メジャー路線からは一線を画していたボウイはこのアルバムによってメインストリームに躍り出ることになります。
マイケル・ジャクソンのビート・イットをも抑えるレッツ・ダンスの大ヒットはアーティストとしてのボウイの感覚を狂わせてしまいました。
立て続けにリリースされた「トゥナイト」はオリジナル曲がたったの2曲(1984)
レッツ・ダンスのヒットによって「シリアス・ムーンライト・ツアー」も大好評だったボウイ。
商業的に最も価値が高まった翌年、ニューアルバム「トゥナイト」を発表します。
しかし、このアルバムのオリジナル曲は「ラヴィング・ジ・エイリアン(Loving The Alien)」と「ブルー・ジーン(Blue Jean)」のたったの2曲です。
その他はイギー・ポップとの共作とカバー曲ばかり。
特に目新しさも無く、これなら「レッツ・ダンス」のデラックス・バージョンで2曲追加したものをつくれば良かったんじゃないかという代物。
アルバムは売れたようですが、ボウイらしくない創造性が感じられない2番煎じの作品になってしまいました。
制作履歴から抹消したいアルバム「ネヴァー・レット・ミー・ダウン」(1987)
ネヴァー・レット・ミー・ダウン image by Amazon
3年を経過したものの「トゥナイト」から何も変わっていなかったアルバム。
今ではほとんど聴かなくなってしまいました。
僕の持っているアルバムには「ガールス」の日本語ヴァージョンが入っていて、とても恥ずかしい曲となってしまっています。
さらに「トゥー・デイジー」という曲が入っていたのですが、再発版からは削除されてしまいました。
ボウイ自身もかなり後悔した楽曲のようです。
このようなアルバムはボウイでなくても(誰が出しても)よかったようなものなのでした。
(アルバムのジャケットのボウイも最低ですね。)
強いてあげるならば、ボーナス曲のWhen The Wind Blows(From The OST When The Wind Blows)はそんなに悪くなかったかもしれません。
このアルバムをリリースした後、ボウイはティン・マシーンの活動を決断するわけですが、新しいボウイの変遷を決断させたということにおいて、重要な意味のあるアルバムと言えると思います。
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コメント
この3枚をリアルタイムで体験した世代です。数年後Ryko盤で70年代を聴き狂い、偏見を植え付けてくれたMTVを呪いました。とは言え、彼の新譜を待てない今となっては貴重な作品ですね。手元にLPしかないので、CD手に入れて聴きなおそうと思います。
jamさん
書き込みありがとうございます。
私はCD発売になってからのファンです。
ボウイの作品はLPのA面、B面というラインナップにもこだわって曲が配置されていることを思い出します。
CDでは連続して流れてしまう「ロウ」や「ヒーローズ」などの作品が顕著ですね。
私は今はLIVEアルバムを良く聴いているのですが、もう一度「デヴィッド・ボウイ」から聴き直してみようと思います。
このページは3枚のアルバムをまとめたような形になっていますが、それぞれ別のページも書いてみようかとも思っています。
Jamさん、また、いろいろとお話しを聞かせて下さいね。
よろしくお願いします。
昔、ウィズアウト・ユーやシェイク・イットなどの気の抜けた曲を聴くたびに
次の曲へと飛ばしていました。
落ちぶれたボウイの曲なんて聴きたくなかったのです。
ですがそれは間違いでした。
これは野球でいうところの緩急であって、素晴らしい前半3曲とのバランスを保つためにあえて入れてあるのです。(曲が揃えられなかったのかもしれませんが…)
最後の曲シェイク・イットを聴き終えると、再びモダン・ラブが聴きたくなります。
(私はこれをレッツ・ダンス無限ループ地獄と呼んでいます。)
これぞまさにボウイの隠された実験アルバムなのです!
信じるか信じないかはあなた次第です。 ^^:
名無しの音ちゃん、ありがとうございます。
「レッツダンス」が実験アルバムであるということは、どこかで読んだことがあります。
実験のはずが売れてしまったので、ボウイは当惑してしまいました。
そのため、ボウイの感がくるってしまったのだと思います。
当時、商業的な成功を目指していたことと、映像作品への興味からアルバムに割く時間が無く、「レッツダンス」以降のアルバムは二番煎じのような形になってしまったものと思われます。