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デヴィッド・ボウイの師、リンゼイ・ケンプ逝く

デヴィッド・ボウイの世界


Photo by Naomi Arnold 

 

リンゼイ・ケンプの死を知ったのは8月26日のことです。

まっ先にブログに取り上げたかったのですが、ずいぶん遅れてしまいました。

8月24日、80歳で亡くなられたそうです。

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リンゼイ・ケンプがグラム・ロックを作ったのかもしれない

再デビューアルバム「デヴィッド・ボウイ(スペイス・オディティ)」を制作する前、デヴィッド・ボウイはリンゼイ・ケンプの劇団に身を寄せていました。

そこで、デヴィッド・ボウイはパントマイムを学んでいます。

パントマイムを通じて空間を使った表現手法を身につけたり、化粧や衣装の発想も培われていきました。

ジギー・スターダストの映像にはデヴィッド・ボウイがマイムを演じる姿が残っているのが、とても印象的です。

……

デヴィッド・ボウイが「スペイス・オディティ」に収録した曲の中には恋人ヘルミオーネ・ファージンゲールのことを歌った曲が数曲含まれています。

そのヘルミオーネとボウイが知り合ったきっかけもリンゼイ・ケンプでした。

デヴィッド・ボウイはヘルミオーネやジョン・ハッチンソンと共にザ・フェザーズを結成していたことが「スペイス・オディティ」につながっていったと言えるでしょう。

……

リンゼイ・ケンプは日本の舞踏にも通じていて、ジギー・スターダストの舞台衣装にも大きく影響を与えています。

ジギーの衣装替えに歌舞伎の「引抜」が使われているのも、そのあらわれです。

このように拾い上げていくと初期のデヴィッド・ボウイにリンゼイ・ケンプが与えた影響は計り知れないものがあります。

デヴィッド・ボウイを作ったのはリンゼイ・ケンプだったと言っても過言ではないでしょう。

偉大なデヴィッド・ボウイを作り上げた偉大な人が逝ってしまいました。

© bluelady.jp


コメント

  1. aladdindogs より:

    R.I.P. ケンプ、寛斎がいなかったらあそこまでの完成度のジギーは誕生しなかったでしょう。
    ケンプは日本にも公演で来てましたね。今思えば行っておけば良かったです。

    もうルーも、ミックも、トレバーもデヴィッドもいない世界。過去の音源を聴くしかない空虚な世界。新しい音源が聴きたい。

    話しは変わりますが、まだ第4弾BOXも出ていないですが、私の予想の第5弾は「ティン・マシーン」を飛ばして(ソロではない理由で)、「BTWN」から「アワーズ」までで、それでBOXシリーズは終了。

    「ティン・マシーン」は単独でデラックス・エディションで再発。
    と言う気がしますが、どうでしょう?

    • Lin Lin より:

      aladdindogsさん、アワーズまでなら、いっそ、その後も出して欲しいような気がします。
      「ティン・マシーン」も是非。

      この頃は「ジギー・スターダスト」〜「ダイヤモンドの犬」をよく聴いています。
      感動する音楽が少なくなりました。
      これは老人になったということなのでしょうか。人生にも秋がきたような感じがします。

  2. aladdindogs より:

    現在「スペイス・オディティ」から「アワーズ」までがパーロフォン、「ティン・マシーンⅡ」「ティン・マシーン・ライブ」がヴィクトリー、「ヒーザン」から「★」までがソニーが発売権を持っていますので、ソニーが同じ様なBOXを踏襲するかですが、多分しないと思います。

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