Photo by Paul Williams MP4-20
2004年、ミハエル・シューマッハが18戦中13もの勝利をあげ、圧倒的なパフォーマンスをしめして、チャンピオンとなります。
この年はB・A・Rホンダも好調でコンストラクターズランキング2位を獲得しています。
ドライバーはジェンソン・バトンと佐藤琢磨。
ジェンソン・バトンは未勝利ながらドライバーズ・ランキングの3位につけました。
佐藤琢磨がUSAGPで3位に入ったのもこの年です。
BAR以外にもルノーが好調で、2003年ルノーで初勝利を手にしたフェルナンド・アロンソがランキング4位につけています。
そして次の2005年、アロンソはついにシューマッハを打ち負かし、初のチャンピオンを獲得するのでした。
MP4-18(レースに投入されず)
photo by Dima Moroz
この「MP4-18」は2003年シーズンのために用意されたマシンでした。
ところが、クラッシュテストも通過できず、結局レースすることはなかった悲劇のマシンです。
2003年はこのマシンの代わりに「MP4-17D」がフルシーズン戦い抜くことになりました。
MP4-19(2004)
photo by Andrew Basterfield
レースに投入されなかった「MP4-18」は開発が続けられ、2004年「MP4-19」となってデビューすることになります。
このマシンのノーズは細く鋭角的でスタイリッシュな印象を受けました。
しかし、スタイルとは裏腹に信頼性に難があり、リタイヤの多いマシンでした。
2003年にシューマッハとチャンピオン争いを繰り広げたライコネンも、2004年は1勝のみでシーズンを終えています。
MP4-20(2005)
photo by Jonathas Nobrega
2005年はレッドブルが初参戦した年です。
長くマクラーレンのドライバーだったデビッド・クルサードはレッドブルに移籍します。
代わりにウイリアムズからファン・パブロ・モントーヤがライコネンのパートナーとしてマクラーレンに加入しました。
この年、フェルナンド・アロンソの駆るRS25が強く、優勝を「MP4-20」と2分します。
タイトル争いはキミ・ライコネンとフェルナンド・アロンソに絞られました。
そして、アロンソが当時としては最年少のF1チャンピオンとなったのです。
まとめ
エイドリアン・ニューウェイは2006年からレッドブルの最高技術責任者となります。
彼がテクニカル・ディレクターを務めたマクラーレンのマシンは次の「MP4-21」までです。
ニューウェイがマクラーレンに在籍した1997年から2005年までの間、「MP4-13」「MP4-14」で、ハッキネンの2度のチャンピオンを支えました。
しかし、信頼性の面から考えると「MP4-20」が最も安定したマシンだといえるでしょう。
フェルナンド・アロンソとルノーのパフォーマンスに抑えられ、このマシンでチャンピオンを取れなかったのは残念でなりません。
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