image by Elvert Barnes
アルバム「ダイアモンドの犬(DIAMOND DOGS)」はグラム・ロックを終わらせたばかりか、さらにデヴィッド・ボウイの変化を進めることになります。
1974年という時代背景は分かりませんが、デヴィッド・ボウイは「ロックンロールなんて歯が抜け落ちた老婆みたいなもんさ」と言い放ち、ブラック・ミュージックに傾倒していくことになります。
ソウルへの傾倒が顕著になった「ダイヤモンド・ドッグズ・ツアー」
1974年4月に「ダイアモンドの犬(DIAMOND DOGS)」を発表すると、6月14日から、カナダ・モントリオールから北米をまわる「ダイヤモンド・ドッグズ・ツアー」が開始されました。
この間デヴィッド・ボウイは「ダイヤモンドの犬」を演じることのストレスから薬物を常用するようになります。
そのツアーの最後に録音されたのが「デヴィッド・ライブ(DAVID LIVE)」です。
体はやせて、声も本調子でないように感じます。
バンド・メンバーとのトラブルもあり、7月20日を最後にライブは中断されることになってしまいました。
そして、その翌月8月からフィラデルフィア・ソウルの中心であるシグマ・スタジオで「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」の録音が開始されました。
ボウイが選んだのはフィリー・ソウル
こうして、デヴィッド・ボウイはソウルやR&Bより都会的で聞きやすいフィリー・ソウルのメッカで、ついにソウルアルバムの制作に着手したのでした。
そこには、カルロス・アロマー、マイク・ガースンをはじめ、デヴィッド・サンボーン、ルーサー・ヴァンドロスといったビッグ・ネームが集められます。
ボウイには悲願である「アメリカ制覇」を成し遂げるため、並々ならぬ決意が秘められていました。
「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」収録の「Fascination」はルーサー・ヴァンドロスとの共作です。
フィリー・ドッグズ・ツアーと名前を変えたダイヤモンド・ドッグズ・ツアー
9月2日、デヴィッド・ボウイはロサンゼルスのユニヴァーサル・アンフィシアターからツアーを再開しますが、ソウル/ファンクへの接近をおさえられないボウイは、10月にはツアーの名前を変更してしまいます。
これで、ロックとの決別は確定的になってしまいました。
ジョン・レノンとの出会い
9月、エリザベス・テイラーの自宅でジョン・レノンと対面しています。この出会いが、デヴィッド・ボウイのその後を大きく変えることになりました。
その一つはマネージャーのトニー・デフリーズとの決別です。
ボウイとデフリーズとの契約は支出を引いた利益の半分がトニー・デフィリーズに渡るという法外なものでした。
ジョン・レノンの助言が契約解消のきっかけになったといわれています。
そして、ジョンとの共作によって、デヴィッド・ボウイはついに全米No.1の曲「Fame」を発表することになります。
トニー・ヴィスコンティーが関与していない「アクロス・ザ・ユニバース」と「フェイム」のアルバム収録
11月からの再レコーディングによって、アルバム「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」の収録を完了し、1975年1月、トニー・ヴィスコンティーはミキシングのためにロンドンに戻って作業中でした。
しかし、アメリカにいるボウイはジョン・レノンとカルロス・アロマーと共に「Fame」を作り上げます。そして、エレクトリック・レディ・スタジオで録音された「Across The Universe」と「Fame」が「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」のテープに付け加えられてしまったのでした。
ヤング・アメリカンズの完成度
ここまで見てきたのは「アラジン・セイン」記事のコメントでaladdindogsさんの指摘を検証する意味もありました。
「Across The Universe」と「Fame」についてはスタジオやバンド編成が異なるため、音の密度が明らかに違っています。アルバムの発表が迫っていたために時間的な余裕がない中、収録された2つの曲は、aladdindogsさんのおっしゃるように、アルバム的な完成度を削いだ結果になっていることは否めません。
「Fame」についてはアロマーの素晴らしいリフによって、未完成さが払拭されているのですが、「Across The Universe」については違和感が残る結果となっています。
しかし、これらの追加によって、商業的な大成功を収めることになり歴史に残る傑作アルバムとなったという意味において、「Across The Universe」と「Fame」の収録は「必然」と言うことが出来ると思います。
プラスティック・ソウルがアメリカを征服
デヴィッド・ボウイは自らのサウンドを「プラスティック・ソウル(まやかしのソウル)」とよび、自虐とも思えるコメントをも残していますが、「fame」の大ヒットによってアメリカの人気番組「ソウル・トレイン」に白人として初めて(エルトン・ジョンに続いて史上2人目)出演することになります。(※「ソウル・トレイン」への出演を史上初とする書物と2人目とする書物あり。)
ボウイの作り上げた「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」は、その後に成功するブルーアイド・ソウルのアーティストたちの先駆けになったということはいうまでもありません。
さらに、デヴィッド・ボウイはソウルに白人的な感性を追加表現することによって傑作「ステイション・トゥ・ステイション(Station To Station)」を作り上げることになるのでした。
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コメント
やまりんさん、おはようございます。
「ヤンアメ」の記事、ありがとうございます。
特に付け足す事はありませんが、また、おもしろい逸話を紹介します。
デビッドとアヴァ、ジョンとオノ・ヨーコが一緒にいた時の事、デビッドがアヴァに朝食を作らせようとすると、ヨーコが「彼女はあなたの奴隷じゃないわ」と、デビッドの男尊女卑の言動を嗜めたそうです。
そりゃ、ウーマンリブの闘志であった、ヨーコは黙ってないでしょう。
それを横で見ていたジョンは笑い転げていたそうで、それからしばらくデビッドはジョンと仲が悪かったとのこと。
前述の、ウェインやアマンダの記実と同じく、この辺りの記実はピーター&レニ・バルマン著「デビッド・ボウイ 神話の裏側」に書かれているものです。
他の一般的なボウイ本と違い、かなり赤裸々な内容ですので、手に入るようでしたら、ぜひご一読下さい。
aladdindogsさま
いつもありがとうございます。
ピーター&レニ・バルマン著「デビッド・ボウイ 神話の裏側」探してみます。
明日、明後日と連続でボウイ記事をアップする予定です。
また、よろしくお願いします。